証券ビュー

森羅万象

ウツロな相場 明けても暮れてもワンパターン (2019.03.04)

昭和の風林史(昭和五八年二月二一日掲載分) 
辛抱する木に花が咲く?
小豆の実際はウツロな相場である。
実と見せて虚だ。
輸大は半値押し結構のところ。
引き継ぎ線で
五百円を上げた輸大(東京)先限
だから半値二百五十円押し
三千七百六十円があっても
辛抱しようという買い方。
長期戦でいくしかない
あきらめの心境。
そうだよなあ、
二月限、三月限の高値買い玉が
日柄(納会)で整理されるまで
待つところか―。
見渡せば強気はオール水つかり。
そして弱い材料ばかり聞かれる。
相場地合いが、ゆるんでしまったから、
それも仕方がない。
需給失調、中国小豆の成約必至。
輸入商社のヘッジ活発。
円高基調―と
明けても暮れてもワンパターンで、
実際相場は売っていたほうが
楽な各節だけに
強気は自信を失うのも当然。
しかし、アメリカ大豆の
作付け減少予測やブラジルの洪水、
その他の気象異変など、
買い玉維持できさえすれば
先に行っての希望がないわけでない。
シカゴ基金も五㌦90~六㌦の
値固めは終ったと思える。
また円相場にしても
戻り一杯の様子も見える。
東穀十万枚の取り組みは、
いささか買い過ぎたといえるし、
はしゃぎ過ぎだと言えば言えるが、
問題点の一は自己玉が
東西合計二万九百枚売りの
七千七百枚買いに見られる如く、
取引員ポジションが上げては困る。
下げてほしい―。
だから大衆は、
輸入商社を敵にし
取引員を向こうにまわしての
戦いになる格好。
これに対して
天が味方するかしないかである。
小豆は二月天井づくりと見る。
ある程度煎れも出た。
それと地場巧者筋のテクニカルが
政策にマッチしているわけだが、
今月に入っての上げ幅は、
たいしたことがない。
山は越したと判断する。
●編集部註
 商社VS大衆の構図を
我々は1990年代後半の
東京金市場で目の当たりにしている。
取引参加者の「手口」が
毎日公開されていた時代の話だ。
 自己玉、委託玉は言うに及ばず、
有力な取引参加者のポジションを
ノートやエクセルに記録して
細かく解析する人間が
どの商品取引員にもいた。 
当時、取引参加者の中には
大手商社とその傘下の取引員がいた。
 一般投資家は金買いで入る。
営業も買いで勧める。
しかし大手商社は売りに売りまくる。
1996年に
1300~1400円していた相場は
1999年に入ると
1000円を割り込む。
900円を割り込んだ時、
発作的にその商社の
本社ビルを焼き討ちしたい衝動に
かられる程追い込まれた。
 こらえてよかった。
後々振り返ると、
そこが大底であった。