証券ビュー

森羅万象

達観したもの勝ち 安値はまた買い場 (2019.02.05)

昭和の風林史(昭和五七年十二月二四日掲載分)  
輸大の安値はまた買い場
円高で売られる輸入大豆の
安いところを買うのが判りやすい。
小豆は閑散低迷か。
小豆の期近限月は
二万八千円と九千円の
千円幅圏内の高低で
底練りしている。
先のほうの四月限、五月限は
八千二百円中心の上下五百円で、
これまた底練りだ。
相場は底入れしてはいるのだが、
出直っていくだけのエネルギーがない。
それは需給事情にもよるが、
結局のところ投機筋に力がないからだ。
力のない投機筋に対して
現物の圧迫が解消されない。
だから二万九千円以上は、
すかさず売られる。
このようにしておいて
横に横にと這って三カ月という相場を
一枚がまだ40俵以前の一枚20俵時代に
随分経験してきた。
当時の限月は今と違って三本だから
穀取は閑古鳥の巣になったものだ。
あわただしい歳末、
なにより有り難いのは、
この暖かさである。
しかし、物が売れない。
タクシーの運転手も
こんな活気のない年末、
見たことない―と。
世の中すべてがそうであるように
相場また元気が出なくて当然か。
長い人生、
正月の一度や二度しなくても、
どうということないや―と
早く達観したものが勝。
不景気のドン底、
どんなにあがいてみてもしれている。
小豆の一月相場は、
戻した頭(22・23日)から
千円ないし千三百円ほど
安いところがあると見て、
そのあたりまた買えばよい。
さて輸大のほうだが円高分が安い。
弱気の目標値は神戸納会
三千五百三十円で出しきった。
これは強姦したようなものである。
ちょっと下げると、
強気していながらすぐにふらつく。
そんな事では駄目だ。
百万人といえど我れ行かん。
周囲に弱気が多いほど
相場の前途洋々と思わねば
厳しい相場社会で勝つことはできない。
安ければ買っていくだけだ。
●編集部註
 行間から
殺伐とした歳末が匂ってくる文章である。
今は古典落語の世界でしか
ほとんどお目にかからないが、
この時期に商人は
各家のツケを生産してまわる。
 そのあたりの悲喜こもごもが
落語の「芝浜」に昇華されるのだが、
それはまた別の話。
 思えば、
昔の商習慣が廃れて久しい。
筆者が子供の頃は
まだ御用聞きが頻繁に
出入りしていた記憶がある。
酒はコンビニではなく
ケースで酒屋さんが届けてくれた。
卵もスーパーではなく、
卵屋さんが売りに来ていた。
 便利にはなったかもしれないが、
風情もへったくれもない時代になった。