大勢別条ない 小才の強弱は迷いの霧 (2018.08.21)
昭和の風林史(昭和五七年七月三十日掲載分)
無人の荒野を行くが如く
乗り遅れた人は仕方ないが
弱気になるのだけはよろしくない。
三万二千円がある。
八月は
相場が荒れるといわれる二日新ポ。
人気のほうは迷いの霧がまだ晴れない。
産地の低温障害が表面化して、
人々が騒ぎだした頃には
相場水準は、
もうあと軽く千円上である。
人気が
やっと強くなりかけた出鼻を
叩かれて、
申し分ない押し目を入れた。
その押しは、
抜く手も見せずの斬り返し。
これが
大相場初期特有のパターンである。
普通、今のように若い相場の、
しかも初押しは三倍返しとみてよい。
だいたいそのあたり、
せいぜい戻して三万一千五百円
と考えている人達の利食いが出ようし、
板崎崩れのテープカットの水準だ。
その辺で再度押すもよし、
押さぬもよし。
大勢に別条ないわけだ。
そのようにして
三万二千円は取りにいく。
ともあれ勢いがつくから待て、
しばし乗り遅れた人は
ホームの階段駈け抜けても
列車は無情に出たあとだ。
三市場取り組みは漸増傾向。
商いも六限月当時より多い。
それは相場が理に叶っているからで、
押すべきところは、
礼儀正しく押している。
これが過ぎた五月、六月、
私の人生暗かったあの頃は、
六本木操作で相場に
礼儀もなにもあったものでないから
限月六本あったところで商いできない。
世間様は真にお見通しだから怖い。
解け合い後、
腹立てて利食い金も証拠金も
持って帰ったお客さんが戻ってきた。
もともと相場が好きなんだから
相場さえ自然にかえれば人気は集まる。
そして本番はこれからだというのだから、
心にときめきをおぼえるはずだ。
四の五の小才の利いた強弱は
いらない。
一本どっこ、運は天にありでよい。
それが必勝の信念になる。
●編集部註
ノーベル文学賞受賞者は、
スウェーデン・アカデミーで
記念講演をするのが
慣例となっている。
初の日本人受賞者である川端康成が
行った講演の題名は
「美しい日本の私」。
二人目の
日本人受賞者である大江健三郎は
そのタイトルをもじって
「あいまいな日本の私」
という題名で講演を行った。
事程左様に日本は何かとあいまいである。
そのあいまいさが
8月に顕著に表れるような気がする。
今日は広島に原爆が落ちた日。
70年以上経っても、
敗戦なのか、終戦なのか。
あいまいなままにまた8月がやってきた。