昭和の風林史(昭和五七年三月一日掲載分)
春なれや春眠暁を覚えず
強気は強気。弱気は弱気。
のたりのたりの春の海だが、
閑な時ほど油断は禁物である。
落花生業界は乱売・投げ売りだという。
自由化まぬがれずと見ている。
小豆の世界は自由化なんともいえないという。
閑な市場になった。
期近限月を盛んに買う手筋が目立つぐらいだ。
週間棒は皮肉な線だ。
線といえば、トレンドも微妙、
微妙のところを、つたい歩きしている。
それはまるで誰かが
線づくりをしているふうでもある。
いま一歩のところで
上昇トレンドを踏みはずすかと思うと
上に持っていく。
次期枠については
通常・大型が言われているが、
二千万㌦程度では三万五千円以下の値は
依然聖域であるという人気。
売って駄目なら買うしかないが、
買っても駄目だから商いが閑になる。
春日遅遅として進まず、
うららかな顔で黒板の前に
閑な相場を見ていても新規は出ない。
春宵の一刻は価千金であり、
春眠は暁を覚えず。
六千円は傘。五千円は抵抗。
この千円幅の中にいる時間が
長くなれば相場は悪い。
春需要の手当ては終わっている。
現物ザラ場の売りものは嵩むが買い手がない。
強くみえるのは玉負けしている定期の期近だけ。
しかしこれも、月々五千㌧の輸入が続けば
知らず知らず重さがのしかかる。
漱石は猫はねずみを獲るのを忘れて―と書いたが、
いまの相場を見ていると、
そのようなふうに感じる。
持ち下げならず、煮ても焼いてもであり、
箸にも棒にもかからずとなる。
しかし、これも相場、あれも相場。
流れる水は先を競わず。
待てば海路の日和かな。
相場金言にもある。待つは仁―と。
●編集部註
日本国内の作家の著作権は死後50年。
従って、
夏目漱石の著作権はとうの昔に切れている。
青空文庫は、
著作権が切れた作家のテキストを
公開した電子図書館で、
漱石の作品はここで読む事が出来、調べてみた。
猫が出て来るので
「吾輩は猫である」かと思ったら
「草枕」であった。
〝春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、
人間は借金のある事を忘れる。
時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる〟。
ここに〝智に働けば角が立つ…〟で始まる有名な
冒頭のくだりを加えると、
眼前の相場に何を言いたかったかが判るかと。
著作権が消え、
本年1月から著作が自由に使えるようになった人物の中に、
漱石とよく対比される森鴎外の
長男が入っているというのが面白い。
彼以外に「二十四の瞳」の壷井栄や
「樅の木は残った」の山本周五郎も
今年著作権が消えた。