昭和の風林史(昭和五七年一月二十八日掲載分)
戻りはそれとなく売れ?
戻りは絶好の売り場である。
買い方が買う程、あとの反動がきつい。
日柄を食いすぎた。
油断をしていると
買い方の突き上げがくる。
買い方は死んだわけでないから
機を見て突破口を求める。
相場環境は日柄の経過と
輸入小豆の入荷で日を追って
重さがのしかかっている。
売り方は
強気筋が陽動作戦に出た戻り高値
を静かに売っている。
いまの場合、相場自然の疲れと、
買い方の努力を比較した場合、
相場は人為の及ぶところにあらずで、
知らず知らず下げ要因を
蓄積しているように思う。
大々的な煎れが取れる
という内部要因ではないし、
四千円台はやはり輸入小豆のヘッジの場である。
買い方としてはあくまで長期戦の構えになるが、
高い値段の相場推移は消費の妨げになる
と同時に輸入作業の進展につながる。
どっちみち下げ相場に直面する。
強気の錦の御旗は
北海小豆が五万円している時だから
という考えがある。
しかし、これは流通経路も価格の形成も
定期相場から遊離したもので、
参考にはなっても
先物投機の指標にはならない。
また、
行政指導による輸入のしぼり込みがいわれるが、
輸入枠三千七百五十万㌦分は
きっちり入荷するものだ。
今年一年を見た大きな流れとしての相場は
上値指向ではあるが目先、中勢となると、
昨年もそうだったように
大きなゆさぶりが何回ともなく訪れる。
当限納会はなんという事はなかった。
暇な市場で先の方を煽ってみても、
これまた、なんという事ない一人よがりで、
結局のところ、
それとなく戻り待ちの売りを誘っただけである。
●編集部註
この時の東京小豆の日足を見ると、
3万400 0円が上値抵抗になっていた相場は
1月27日の引け値でポンと上抜ける。
翌28日は陰線だが引け値はピタリ3万4000円。
当時の相場はザラバではなく板寄せなので、
相場の呼吸が違うという意見もあるだろうが、
平成の御代から罫線だけを抽出してみると、
見事な保合い上抜けである。
シュミレーションや分析では結構当たるのに、
実際に取引に臨むと損をしてしまうのは、
多分に分析過程でノイズに惑わされるためである。
そういえばアート・オブ・ノイズ
というバンドがいたなと思って調べたら、
この年に前身となるバンドが活動を開始していた。
この時期は、音楽の革命期でもある。
81年に米国でMTVが放送を開始。
最初に流れたミュージックビデオは、
バグルスの『ラジオ・スターの悲劇』
であったのは有名な話。
現在、楽曲に
ミュージックビデオがつくのが当たり前になったが、
原点はこの頃である。