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森羅万象

「遠山に日の当りたる枯野かな」 虚子 (2017.12.26)

昭和の風林史(昭和五四年十二月十九日掲載分)
歳末難儀道 雑感 小豆記者失職でない
老兵は消え去るという気はない。
小豆記者失職というものでもない。
男子三日見ざれば忽然である。
「遠山に日の当りたる枯野かな 虚子」
相場はどうなんです?と言えば、
為替次第―となる。
為替はどうです?。石油次第―。
世の中も変わったが、
相場の世界も大変化した。
そういう時代に相場新聞も対処し、
順応していかなければ、
必要価値がなくなる。
まして興亡激しい商取業界である。
創刊以来『風林火山』の当欄は、
花形商品であった小豆相場と共にあった。
しかし、今の小豆相場には、
もうロマンがない。
もちろん相場は動くであろう。
動くけれど、人々の心に感動を呼ばない。
手亡の相場でも、動いている。
動いているが、果してどれほどの投機家が、
この手亡相場に関心を持っているだろうか。
やはり、これからは国際商品である。
輸入大豆、砂糖、ゴムが
一九八〇年の花形商品である。
紙面も、それに対応していかなければならない。
この事は、去年の暮に計画して、
本年春から実行しようと思ったが出来ず、
夏頃にはと思い、それも出来ず、
とうとう暮になってしまった。
だから、四面からこの欄を消すのに
一年かかったことになる。
という事は、小豆の先行きや業界を
見定めたかったのである。
筆者は、この欄から消えても
老兵は消え去る―というような気はない。
小豆記者失職などとも思わない。
新年から三面で、随時、書いていく。
それは行動する記者である。
書く事が、余りにも多いし、
また、書かなければならない大きな問題が
山積している。
更に、当社で発行している
『商品先物市場』(月刊)も四年目入り、
ようやく安定してきた。
雑誌のほうに
力を今まで以上に投入しようと思っている。
●編集部註
 投資日報という新聞は、
ジョン・F・ケネディが米大統領選に
勝利した昭和35年(1960年)の
11月に始まった。
梶山季之の「赤いダイヤ」が
新聞連載から書籍化されたのが
キューバ危機のあった1962年なので、
それよりも古い業界紙だ。
 当然、その当時の相場の中心は
小豆相場。
バックナンバーを読み返すと、
小豆の相場記事が「風林火山」
となっている。
文中に漢籍が
登場する相場の分析記事は前代未聞。
ただし1953年のスタ ーリン暴落の
直前「桐一葉落ちて天下の秋を知る」
と一句用いた人はいた。
 1967年、大阪で井上義啓という人が
「週刊ファイト」
というプロレス紙を発行する。
彼の言葉の紡ぎ方は独特で、
後に「活字プロレス」
と評される事になるが、
風林火山のそれは
「活字小豆相場」であった。
更にここから小豆の文字が消え
「活字相場」が始まる。