昭和の風林史(昭和五四年九月二八日掲載分)
井の中の戻し 欲張っても駄目!
◇…積み上げ努力が奏功、いま少し戻す場面があってもよい。
そこは再び判りやすい売り場となる。
◇…九月限は名古屋、関門が渡し物薄から急騰、
大阪、東京は平穏に幕を閉じた。
◇…受け手はサヤ取り、商社の決算受け、
そして一万九千円台という値ごろに誘われて、
実需筋もそこそこ拾ったようである。
農林水産省の豊作予想発表で、
人気面でひと区切り(弱気観の浸透)がついた市場である。
どう転んだところで大した展開になりっこないが、
〝売りたい上げ賛成〟に、
少しぐらい敬意を表してもよい頃合いである。
まずは先の安値からの千円戻し、
相場は勢い、弾みがつけば、
二千円戻しで二万五千円奪回―とくれば、
商いも賑わって結構な話であるが、
それは少し欲張り過ぎというもの。
◇…十月は今月以上に荷を呼び込む。
サヤ取りの還流玉があり、ホクレンも旧穀を処分してくる。
積極的に受けるのは一体誰なのか?。
「あと二、三百円方戻してくれたら」という地点で
恐らく相場は戻り一杯しよう。
◇…人気面でひと区切りとはいえ、
玉整理は取組高の推移からすると、
あまり進展したとは言えない。
期先を基準に見ると、
二万四千円台は因果玉が鈴なりにぶら下がっている。
この〝やれやれ〟の売りを浴びる地点を、
素通りできるほどのエネルギーを備えていない―、
緊迫した情勢でもない。
年間最大の需要期控えは、
同時に最大の出回り期にも当たる。
次期小豆ワクの削減→輸入物の定期ばなれ―
今や常識化している。
輸入商社のヘッジを
恐れる値ごろ水準ではないものの、
道産・旧穀の悪目は、
中途半端に〝閑散期〟へ入ったため、
未だ出し切っていない。
およそ、土台が固まっていない相場に
過大な期待やロマンを求めるべきではない。
◇…暫くはぶっ壊すための虚しい積み上げ努力が
なされようが、
冷やかな第三者の目で眺めておればよい。
判りやすい売り場が訪れよう。
●編集部註
この時小豆相場は
3~4カ月間〝二千円〟の呪いにかかってしまう。
株価が上がって困るのは
信用売りをしている人だけだが、
商品相場は上がり過ぎたら消費者が困るし、
下がり過ぎても生産者が困る。
平準化の名のもとに、
値動きは本質的に
心電図のような波形を描くのが良いのだろう。
昭和54年9月も間もなく終わる。
この記述のために、
この当時の年表を見るのが色々楽しい。
ハウス食品から「うまかっちゃん」が
発売されたのが昭和54年9月。
販売価格はわからないが、農水省のHPに行くと、
昭和55年の即席めんの小売価格は
1袋60円となっている。
鉛筆が1本30円、
JRの初乗り運賃が100円、
週刊朝日が200円していた時代だ。