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森羅万象

「桃咲いて三年味噌の匂いかな」 五洲 (2017.04.19)

昭和の風林史(昭和五十年四月十四日掲載分) 
買い場を露呈 悪夢は去った!
手亡が下げ止まり小豆が浮揚する。
気分で嫌嫌押した小豆のこの辺の値段は
絶好の買い場を露呈。
「桃咲いて三年味噌の匂いかな 五洲」
小豆相場を考えてみよう。
常識的判断はおよそ次のように言われている。
大勢的には強気しなければならない。
新旧格差を思うと、十一月限は当然二万円台だ。
しかし現在のところ、
まだ当分は七千円中心の動きだろう。
取り組みが太りだしてからでも遅くない。
どなたに聞いても、小豆の答えは以上のようだ。
まったく、その通りだと思う。
山梨商事の霜村氏は『いま小豆が高くなるよりは、
このあたりの水準で播種期を待つほうが、
先に行って相場が楽しみになる。
いま高いと小豆の作付け面積に変化が起こるだろうが、
今のままと減反こそあれふえる事はない』―と。
誰もがいまは鼻もひっかけない。
その小豆相場の何と底堅いことか。
手亡の先限が悪夢(買い方には)の棒下げを演じ
〝いって来い〟となったというのに、
小豆は新ポの穴埋め、
二分の一押しが精一パイであった。
値幅にして約六百円。
それも商いが伴わない、
気分で嫌々ながら手亡に追随した形だ。
大正金時でさえ二万七千円(大阪)し、
うずらが高騰し続けているとき、
小豆の商品価値からいって、大きく下げる道理がない。
そう判っていても、現実に手亡の十分の一の出来高、
二市場のみの生糸、乾繭並みの相取り組みでは、
大半の投機家は仕掛ける気持になれまい。
それが人情である。
だが、相場に必勝法があるものなら、
恐らく人情に溺れることを戒めよう。
古来〝人気の裏〟を教えるコトワザのいかに多いことか。
本格上昇波動を確認してから飛び乗っても遅くはない。
そういう意見もある。確かにその通りである。
が、崩れては積み上げる〝賽の河原〟の相場も久しい。
口で言うほどに実行は容易であるまい。
考えてもみたい。
弱気が念仏のように唱えるのが供給過剰だ。
調整保管の五十万俵が
そのまま翌年度へ持ち越されたともいう。
これは未知の要素(天候作付けなど)を
まるで無視したものだ。
最も危険なもの、それはもっともらしい理屈である。
理屈ではまだまだ大下げのあるはずの手亡が止まり、
反発の構えなのも面白い。
小豆、手亡とも大丈夫、心配はない。
●編集部註
 昭和五十年の小豆相場の総取り組みは、
一月の三万三千枚水準から、
四月下旬に二万一千枚水準までジリジリ減っていた。
【昭和五十年四月十二日小豆九月限
大阪一万七三八〇円・一五〇円高/
東京一万七三八〇円・二〇〇円高】