昭和の風林史(昭和五十年二月五日掲載分)
小豆も手亡も、その潜在している力を知れば恐るべき相場といえる。
全艦発進寸前の姿勢だ。
「梅さや寺からの里の近道に 古白」
小豆相場六月限の七千九百円。七月限の八千円大台乗せ。
そういう場面が近々あるように思う。
昨年は二月4日の立春大吉に大発会(一万七千八百七十円)を
天井にして下げてきた相場がピタリと下げ止まった。
日足線24本新値11本の三千五百七十円下げであった。
その相場が三月4日まで暴騰し、
あと深押しも入れたが結局七月26日の大天井までつながった。
二月3日節分。地方によっては〝せつがわり〟という。
冬の節から春の節に移る。次の日が立春。二十四節気の一ツ。
雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏―と追ってくる。
相場のほうも、春の新入卒業、婚礼等のお祝いの需要。
行楽花見、節句等の需要、そして作付け予想、
長期天候予報等々の材料を織りなして活動期に入る。
ケイ線で先限引き継ぎでは千円棒が立っている。
限月一代足では五月限が千円棒を立てた。
当面、目先的に一月17日の押し目幅の倍返し。
四月限…七千三百八十円。
五月限…七千六百円。
六月限…七千八百九十円。
そのあたりまでは反騰の力を今の相場は持っている。
サヤから計算して七月限八千百四十円見当になる。
すでに七千五百円という関門を七月限は買い切っているから
次の七千七百六十円関門抜けが注目点で、
これを買い切る時は恐らく吹き抜けていくであろうから
待望久しき八千円相場は
〝おりから凍るきさらぎの二十二日の午前五時〟
―などという事になるかもしれない。
轟然おこる爆音に、やがて開ける突撃路…。
ともかく小豆相場は昨年九月28日安値。十月23日安値。
そして十二月18日の安値。この大安値が頑強に下値を支えている。
相場の地盤は鉄壁の岩盤である。
この上に超高層建築二万五千円。
時に三万六千円という作品が威風あたりを払うのである。
筆者は思う。一月9日に立てた小豆の強烈なる陽線が、
今もって厳然とこの相場の支柱になっている。
そして手亡のS安二発にもかかわらず六百円幅しか下げず、
すでにその押し目を埋めきった。
この間、手亡相場も綺麗に埋めていることは恐るべき相場だと思う。
●編集部註
相場界には「節分天井」という言葉がある。あながち間違いでもない。
【昭和五十年二月四日小豆七月限
一万七三八〇円・一三〇円安/
東京一万七三七〇円・一四〇円安】