昭和の風林史(昭和四九年十一月二六日掲載分)
師走上伸必至 売り次代終了す
手亡という隣家の災難に
巻き込まれたような小豆相場だった。
既に小豆は立ち直ろうとしている。
「河豚喰うや短き命短き日 虚子」
十一月の納会が済むと駆け足で日が過ぎそして師走。
なにもかも苛立ってくる。
相場のほうも荒れてくる。
しかし例年、師走に入っての焦りは、
焦るほど効果は挙がらないものである。
小豆相場は十月23日と十一月20日で下値の限界を見た。
このあたり(四月限で六千五百円)は、完全な大底である。
それは、一、二月限でも判然と、
この値段以下の相場はあり得ないという事を教えている。
即ち一月限では
9月28日…一五、一六〇円
10月23日…一五、一八〇円
11月20日…一五、〇〇〇円
二月限では
9月28日…一五、四七〇円
10月23日…一五、三九〇円
11月20日…一五、三〇〇円
一月限の一万五千円、二月限の一五三〇〇円。
いうなら鉄壁の大底である。
この事は前二本の十一月限、十二月限を見ても言えることで、
九月28日十一月限が付けた一万四千三十円は、
明らかにこの限月一代の大底になっている。
ともかく、先般(十一月20日)の安値は、
小豆そのものが悪くて付けた値段ではなく、
手亡という隣家の災難に
巻きぞえを食って付けた安値であるから、
この水準を割り込むという事は考えられない。
さて、そこで、人々は大底値は確認したが、
それでは上値は、どのあたりまで期待出来るか?
という目先の事をすぐ考える。
曰く。先限の一万七千五百円は
ホクレンのつなぎが入るから限界だ―と。
だが、相場とは、そんなものではない。
第一、ホクレン当局にしても、一万七千五百円が付いたら、
どんどん売るという事をするだろうか。
そんな事をしたら
一万七千五百円が上値の限界値になってしまう。
相場に妙味がなくなれば、誰も手を出さなくなろう。
また、一万七千五百円は〝売りだ〟と
投機家筋がホクレンを頼りに売ってくれば、
取り組み内部要因というものが変化して、
相場は突っ走ってしまうかもしれない。
相場とは、そういうものである。
賢明な投機家は先限の一万七千円割れは買い場で、
それは大底を確認した以上、
相場が天井するまで買うしかない
という考え方によるもので、
他に理くつをつける以上は、なにもないのである。
●編集部註
その理くつ、わかっちゃいるが…。
平成二八年十一月九日の
日経平均株価の安値を買えた御仁が、どれだけいたかに通ずる。