「日の影や人にて凄き網代守」 言水 (2016.11.22)
昭和の風林史(昭和四九年十一月二二日掲載分)
岩盤の三点底 猛然と反騰せん
相場には自然の法則がある。
下げすぎたものは自律反騰する。
復元力をあなどるわけにはいかない。
「日の影や人にて凄き網代守 言水」
小豆相場は強制的な玉整理を済ませて、
その線型は反騰を暗示した。
いま、小豆一、二月限の線型を見ると、
九月28日、十月23日、十一月20日と、
いずれも同値水準で下げ止まり、
珍しい姿の三転底を形成している。
三月限にしても十月23日五千五百十円。
十一月20日五千五百円―と、
下値の限界を、まざまざと示すのである。
時ならず手亡相場がピービーンズで殺され
四日連続のS安となった、その道連れにされた小豆である。
本来、先限(三月限)の七千円割れ、
二、三月限の六千円割れの水準は
大底も大底、裸の値段である。
それを叩いたのであるから必要以上に玉整理が進んだ。
従って、相場が猛然と反騰しても不思議ではない。
悪役を演じた手亡が、
やはり止まるべき地点にくれば止まっている。
市場では一万円ベタの手亡相場が言われているが、
ピービーンズの供用格差も手直しされれば、
実態以上に叩かれた手亡は、
やはり相場自然の法則で復元力を発揮する。
いずれにしても手亡は下げ日数(日柄)の面と
下げた値幅の面で充分の水準まできて
ピービーンズで大底を破られたので、
奔然と立ち直って当然である。
小豆も悲観的に見ようと思えば幾らでも悲観材料はあるだろうが、
相場そのものが実態以下に下げ過ぎたものを、
なお弱気していては相場の罰が当たろう。
金融も、少しずつ緩和してきた感じがする。
もうこれ以上悪くはならないという目安さえつけば、
萎縮していた気持ちも明るくなり、
それがひいては相場思惑につながり仮需要も出てくる。
その意味からも小豆の四月限など昭和50年度の諸情勢を勘案すれば
スペキュレーションとしての妙味よりも、
純投資の対象として随分有利な物件といえる。
筆者は前にも書いたが、一万七千円割れの四月限は
三、四カ月待つ気ならば、
相当な値幅が約束されていると確信する。
安値にきての売り込みという相場の内部要因だけを見ても、
この相場の復元力は、あなどれない。
●編集部注
ここでの指摘通り、日経平均株価は前年一月に
五三六〇円を高値に下げトレンド。
昭和四九年十月に三三五五円で反転、七年強上げ続ける。
相場の節目は企業の節目。この月末に三省堂が倒産。
今も神田にある三省堂書店との資本関係がここでなくなり、
二社は別々の道を歩みはじめる。
【昭和四九年十一月二一日
小豆四月限大阪一万六七九〇円・一三〇円安/
東京一万六七〇〇円・一七〇円安】