昭和の風林史(昭和四九年八月二十九日掲載分)
止まったとも言えるし、
止まらないとも言えるが、
場面は終戦処理段階。
そして総弱気支配。
「鹿垣はあたりのものを淋しくす 若沙」
昔、ヨーヨーという遊びがあった。
色を塗った木のコマに糸を巻いて垂らすと、
コマの回転で糸が巻き上げられる。
上手に反動をつけてやると何回でも続くが、
今の小豆のケイ線のように、
垂れ下がって糸を巻き上げる力が弱くなると、
だんだんのびきって、コマはもうあがらない。
テレビで〝横浜、たそがれ〟という歌をやっていた
〝もうあの人は帰らない〟―と。
27日は大曲諏訪祭。九紫仏滅。
東京川村で千枚弱。
名古屋と大阪の大石で千五百枚。
豊栄で千枚。
長かった戦いを終結した。
ヨーヨーの糸がのびきった。
そしてもうあの人は帰らない。
12月限で三千円幅の下げ一本道だった。
空山人を見ず。
ただ人語の響きを聞くのみだった。
昨年は七月13日に天井した。
今年は七月26日が頭になっている。
遅れる事13日。
昨年は八月14日に
大下げ途中の中段底を入れている。
本年は八月27日にS安の叩き込み。
昨年に遅れる事13日。
筆者は
西部劇のラスト・シーンのような板崎氏の姿が
目に浮かぶ。さらば二万円。はるかなる値段よ。
これを東洋風にいえば、
長風万里秋雁を送る時、
折れた刀を抜いて水を斬れば
水さらに流る。
杯を挙げて愁いを消さんと欲すれど
愁いさらに深し。
人生世に在りて
意にかなわざれば、
明朝髪を散じて扁舟を弄せん。
人々の心は黒く沈んでいる。
投げ遅れた玉の整理散見。
短かった夏の相場は終わり、
ちちろ鳴く。
いつの日か反騰もあろうが
市場は終戦処理の場面である。
われわれ相場の世界にある者は、
いつも〝悲哀〟というものを知っている。
そして善戦むなしく破れた側に
敬意を表することを忘れない。
再起を、そしてまたの日を。
土を巻いて重ね来たらん日の早かりしを念ず。
だが相場の世界の現実は
〝あの人はもう帰らない〟。
三軍散じ尽して旌旗倒れたいま、
相場の事を語るは、
あまりにも空しい。
秋風吹いて尽きず、すべて是れ時の運。
値は止まったとも言えず、
止まらんとも言えず。
ただ浮雲の如し。
●編集部註
恐らく、
ララミー牧場のテーマは流れていない。
むしろセルジオ・レオーネ監督の『ウェスタン』。
エンニオ・モリコーネ作曲の
叙情的かつ寂寥感漂うサントラが似合う。
【昭和四九年八月二八日小豆一月限大阪一万六九一〇円・二二〇円安/東京一万六七七〇円・一一〇円安】