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森羅万象

暴落は必至!! 音たてて崩れん (2016.06.09)

昭和の風林史 (昭和四九年六月五日掲載分)  
売る事の怖さという面を考えた場合、
今年はそれほど怖いと思わぬのは
水準がすでに高いからだ。
「風鈴屋老の弱腰たてにけり 蛇笏」  

昨日の当欄霜村氏の記事中、終わりから10行目、
49年産百七十万俵とあるのは48年産百七十万俵のミスプリント。
49年と48年とでは大違いだ。
世間では百九十万俵の収穫があったと思い込んでいるが、
私(霜村氏)は百七十万俵の収穫だったと思う
―ということ。従って強気の立場である。

筆者は思うのである。
この小豆相場は、このままでは上げづらい。
仮りに高くなろうと、息が続くまい。
低温、降霜などの材料で突飛高があれば、
買っている人は
横っ飛びに利食いしてしまうだろうし、
売り方は絶好の狙い場として売ってくる。
ドカ下げ。
即ち屋根の上から
〝ばけつ〟を転がすが如きガラガラ下げ。
そういう場面がありそう。

ただ、取り組み面で、
あまりにも売り過ぎているのが、
崩れを食い止めているようで、
線型にしても日一日と
暴落近しを濃くするがそれだけに、
誰もが売りたがらる。

売られた(取り組みの)相場は下げないものだが、
一概にそう決められない。
売られていようと、店が食われようと
相場は非情冷酷。
崩れる時は崩れる。

考えてみよう。
人気が離散して、仮需要が湧かない。
いまの水準を強気して千円幅が取れるか?
という値幅と、相場の居所の問題。
確かに物価は再び上昇する段階に来ている。
生産者コストも大幅アップする。
また、天候不順等の天災期でもある。
売る事の怖さは誰でも承知しているが、
同じ売る事の怖さにしても、
今の水準での怖さなら、
せいぜい千円か千五百円幅の怖さでしかない。
そこのところが、
去年、一昨年の売り方と違うのである。

半面、強気する側にも言い分はある。
下げて新穀(11月限)の一万七千円までのもの。

あるいはそうかもしれない。
天候を五分五分、平年作と見ても―だ。
そうなると、当面考えられることは、
小さい相場じゃないかとなる。
それでは面白くない。
もとより相場に
面白おかしいものを求めるのが間違っている。
相場は神聖にして犯すべからざるものだが、
崩れるのではなかろうか。
ガラガラ音をたてながら―。

●編集部注
 この当時は
値幅制限というものが存在した。

 小豆相場は解け合いも経験している。
暴落の事を業界用語で
ガラ〟と呼ぶが、
参加者はガラ慣れしてる。

【昭和四九年六月四日小豆十一月限大阪一万八一四〇円・四〇円高/東京一万八〇四〇円・九〇円高】