昭和の風林史(昭和四九年五月二十二日掲載分)
決定的な材料、
あるいは劇的な材料出現を待つ小豆相場。
全値戻しまではあろうが、あとが問題。
「山女の斑明らかに水の底ゆけり 碧雲居」
小豆相場を見ていると、
なんとなく本年は相場師の出る幕がないのではないか
と思ったりする。
あまりにも天候を早いうちから騒ぎすぎた。
情報時代とはいえ、今年がまるで
決定的な凶作年でもあるような印象を植えつけてしまった。
こうなると、誰もが警戒をして弱気をしない。
ここに来て、大相場出現は時期的に
かなり大幅にズレ込むのではなかろうか?
という見方も出てくるのも至極当然である。
値ごろが、投機対象としてやりにくいところにある。
一万五千円以下の水準なら
上値の値幅の楽しみも大きいが、一万七千円では、
仮りに二万円を付けても、なんとなく物足りない。
人々は去年のインフレ相場プラス仕手相場を
脳裏に深く刻み込んでいるから、本年こそは
―と手ぐすね引くのだが、
去年活躍していた仕手筋は年回りが悪いせいか、
なんとも冴えない。
当面の材料となる作付け面積。
これも大幅減反になるまいという見方が支配している。
あとは発芽後の遅霜だが、悪い悪いと騒いだ割りに、
播種時の天候は遅れを取り戻し、
割り合い順調のようである。
なんの事ない。
これは肩すかしかもしれないよ
と期待が大き過ぎたため、
本年天候相場に対して懐疑的になってくる。
さりとて、天災期に一万六千円以下は、
まずあり得ないという他物価や
生産者コストなどから比較して、
この小豆相場の下値も限界がある。
売れず、買えず、
大きな相場は出そうもないね
という気持になってしまえばまた別だが、
今のような中途半端な人気の市場では
確かに相場師の出る幕はない。
市場では過去に現物と定期の両方を思惑して
成功した仕手はいないと、
もっぱら桑名筋の小豆からの戦線後退を期待している。
彼がここで小豆から離脱するようなら、
その相場は瞬間的に安くても、
絶好の買い場になる―と見ている。
即ち灰汁抜けなのだ。
去年は彼の動きに絶対的な信頼を寄せた人々。
今これらの人たちは彼が投げ出すのを
ハゲ鷹のように待ち受けるのだ。
●編集部注
一万七〇〇〇円がセンターラインになっている。
買い方も、売り方も、
ここでの攻防戦が常態化してきた。
〝魔坂〟はそんな時によくやって来る。
【昭和四九年五月二一日小豆十月限大阪一万七〇七〇円・変わらず/東京一万六九六〇円・三〇円安】