昭和の風林史(昭和四九年三月十二日掲載分)
七千円目前に二の足を踏む。気迷うがよい。
それで楽しみが倍加する。抜けば踏み殺到す。
長期予報などというものは、大体において
当たらずさわらずのものと決まっている。
インチキ占い師が得意とする抽象的な言い回し、
といえば語弊があるが、まあ、いって見れば
痒い足を靴の裏底から掻くような
物足りなさを覚えるものである。
もっとも、これが豊饒間違いなしとか、
冷害年とはっきり言えば、
邪馬台の女王卑弥呼(ひみこ)で
「鬼道をこととし、よく衆を惑わし」(魏志)―
となるから予報官という職業も
なかなかつらい立場にある。
相場の方は、市中の気迷い(手出し難)を映してか、
ためらいがちに一歩前へ進んではアトずさり、
嵐の前の静寂にしては、
何か盛り上がるものを欠いている。
節毎の商いにも見るべきものがない。
三月といえば農協の決算月、産地業者も、
ある程度仕切ってくるかと思って見ていたら、
一向にその気配がない。
桑名筋が五十車か六十車、
六~七月積みで手当したとかを伝えるが、
たかだか一万二千俵か一万四千俵のもの。
枚数にして三百枚から三百六十枚。
値段が高くなればさらに売ってもこようが、
さて数量的にどれほど期待できるか。
昨年と同じ経過で、天候が定まった時点で
売り腰も変わってくると見ておくのが無難なようだ。
今のところ、農家の庭先価格一万五千円、
消費地の一万七千円以下ではお話になるまい。
だが、これは極めて重大なことを意味している。
下値が限られているのに反して、
上値は果てしなく広がる青天井への期待である。
天候相場たけなわの七~八月、
煮えたぎるつぼの中で
沸騰しているかもしれないのだ。
ある人は言う。
「小豆相場はアキレス腱(弱点)がある。
たとい天候不順で相場が狂ったように踊ろうと
長続きはしない。
そう、中国小豆の緊急輸入がある。
今こそ上期の小豆ワクは保留の形であるが、
相場が高騰すれば発券に踏み切らざるを得まい。
輸入物の脅威を忘れていると
墓穴を掘る結果になろう」と。
そうかも知れない。が、
それには相場の爆発が前提となる。
その条件を満たさぬまえに心配するのは
取り越し苦労、
杞憂というものではなかろうか。
大丈夫、小豆相場は買いのままでよい。
【昭和四九年三月十一日小豆八月限大阪一万六七四〇円・一〇〇円安/東京一万六五九〇円・一一〇円安】