昭和の風林史(昭和四九年二月四日掲載分)
春遠からじ。
大台三ツ替わりの下げ相場も、
このあたりで値ごろ鍛錬にはいりそうだ。
「何事もなくて春たつあしたかな 士朗」
下げてみれば下げたで理屈がつく。
上げれば上げたで理屈がつく。
それが相場だ。
そして、高ければ、なお高くなりそうに思えるし、
安ければ安いでもっと下げそうに思う。
これが人気だ。
利が乗った玉は、早く利食いし、
引かされた玉はなかなか見切ることが出来ない。
これが人情だ。
辛抱に辛抱を重ねたあげくに
資金続かず投げる(あるいは踏む)。
そして投げ余し(煎れ余し)で
ドン底を叩く(ド天井を掴む)。
相場は、人のポケットの中を
よく知っているものだと感心するのである。
京都の大原経済の大原雄三氏が
講演会の時に次のようなことをおっしゃった。
『注文を出す時に、前もって
自分の担当の営業マンに自分が十枚売り―と注文したら
必ず逆に十枚買うように約束しておく。
買いの場合でも、自分がここを買わなければ―と
買い注文を出したら逆に売ってもらう。
そうすれば案外うまくいくかもしれませんね(笑い)』―と。
相場は人気の裏を行く。
今の小豆相場の人気はどうか?といえば、
もう止まった、もう底だ―と。
ならば、もっと深いのかもしれない。
第一、『もうはまだなり』というではないか。その反対語として『まだはもうなり』と。
もうなのか。まだなのか。こうなると深い迷いに踏み込む。
相場新聞の見出しならば〝人気は気迷いだ〟―と書く。原稿を書く記者自身が迷っているから人様も迷っているのだろうと思ったりする。
相場金言に、まったは仕舞え。迷わば休め―というのがある。確かに相場金言はいい事を言う。だがこれを実行するのは難しい。
さて大台三ツ替わりの下げ相場。
因果玉が投げきっていないとも言われるが、取り組み内容は大きく入れ替わっている。
新ポのサヤが買えなかったことや、一月末消費地在庫の増加予想。それに輸入発券、手亡の悪役、証拠金問題等、暗い面が、大きく前面に出ているため、先に行っての明るい材料を、ともすれば見失う。しかし寒気は厳しくとも春遠からじの相場だ。
●編集部注
皮肉なもので、底値というものは、買い方の大半の心根をポキリと折ったところでつけるケースが少なくない。
折れなくても構わない。
たとえその前週に、精確無比で予言者の如き予測を立てていたいたにもかかわらず、揺れただけで「休むも相場」で動けなくなる。動けぬ人が多いと、相場は良く動く。
【昭和四九年二月二日小豆七月限・休場】