証券ビュー

森羅万象

ダンゴ天井型 年内下げ一方か (2015.12.08)

昭和の風林史(昭和四八年十一月二十九日掲載分)

人が相場に勝っているように見えても、
それは一時的なもので
相場は再び相場本来の姿に戻る。

「冬枯や在所の雨が横にふる 一茶」 

小豆の相場つきは、決して強いとはいえない。
六千円どころはダンゴになって、大きく抵抗した。

そして先限は黒々と千円棒を垂れてきた。

ただ、誰もが思うことは、相場自然の動きなら
二千円下げ、三千円安ということも
充分あり得るとしても、
いつどこから、強引に買いの手が出て、
様相一変という事態にならぬとも限らない。

それが怖いというよりもそういう手に、
ひねられるのは馬鹿馬鹿しい。

見ていると、相場は疲労している。
定石でいえば、下げるところである。
下げるだけ下げれば、また相場が若くなる。

ところが昨今、定石など通用しない。
時代が変わり、
世の中の仕組みが変わると相場も変化する。

特に穀物の相場は、
繊維相場のように、理くつは通用しない。

市場が狭いこと、
キャパシティを上回る投機資金が介在していること。
そしていわゆる地場筋のテクニシャンが、
かなりの範囲で活躍できる素地があるだけに、
時に部外者の目から見れば
市場操作と映ったり、
価格操作と見られたりすることもある。

しかし、これらの現象も、
手亡相場に、はっきり出ている如く、
あまり露骨になると、
人々は敬遠して寄りつかなくなる。

相場は
一部特定の人たちに私物化されるべきものではない。

もし私物化されるようなら手亡相場の如く、
もっと極端になれば人絹相場、黒糖相場のように、
だれも見向きもしなくなろう。

小豆市場は投機家過剰といえよう。

だがこれも一現象、一過程に過ぎない。
どこかで自然に戻ろう。

力強き者は力強きが故に破られる。
よく泳ぐもの、またよくおぼれる。
マンモスは巨大なるが故に滅びた。
インカ帝国またしかり。

小豆相場の覇者をふり返れば、
その時代、時代に即応した英雄の出現を
見てきたが誰か滅亡を免れたか。

相場市場における覇者の権勢、
まこと夢幻の如きものなり。

しかし相場の生命力は永遠。

相場本来の生命力が、
よみがえる時もこよう。

●編集部注 
 行間から売り方の安堵感が読み取れる。
ハッキリ〝疲労〟という文字も登場。
本音は皆休みたい。

 そうは問屋が卸さない。
相場は無常で無情である。

 間もなく下降五波動目が終了。
ここからひと呼吸挟んで、
翌年元旦に向けた上げ相場が始まる。

【昭和四八年十一月二八日小豆四月限大阪一万五〇七〇円・五一〇円安/東京一万五一〇〇円・三六〇円安】