昭和の風林史(昭和四八年十一月十五日掲載分)
相場自身は無気力状態であることが、
はっきり目に映る。
ヒロポン買いで戻るところは静かに売れ。
「機械より出る釣銭や日の短か さかえ」
砂糖暴騰のため小豆などの売れ行きが
非常に悪いという現象は、判らぬこともない。
小豆も高い、
白いんげんも高い、青えんどうも高い。
そして砂糖も過去に見られない高値を付けては、
甘納豆の製造業者も、ようかん屋も、
お手上げである。
家庭の主婦にしても砂糖が高いため
小豆を買う気にもならない。
どだい昨今、
家庭で小豆をたくようなことは少なくなった。
当社でも毎年暮れには小豆を一俵買って、
社員に分譲するのだが、
年配者は郷愁もあって好評だが
若い人達の世帯では、
持てあまし気味のようである。
なま菓子が小さくなろうと、
ようかんが高くなろうと、
饅頭が幾らの値段なのか知らないが、
ぜんざいなどを見ると
鳥肌がたってくる左党には関係のない話だが、
お茶の先生は和菓子の値上がりで、
月謝も値上げせざるを得ないそうだ。
小豆相場のほうは
産地の現物が消費地に移動し出すと、
これはもう、
水鳥の羽音に驚いた富士川の
平家の陣どころではない。
生産者も産地業者も
品物を内地に売却しなければ
経済にならない。
小豆は貴金属ではないのだ。
現物が出回ってくると
恐らく今の相場水準から二千円は安くなるだろう。
それが経済というものだ。
高値には鈴なりの因果玉が
口をあけて二万円という値段を
本気で待っている。
それらの玉にパラパラと時雨のように
追証がかかれば今から下の千円下でも
時雨のようにパラパラと投げざるを得んのだ。
急落は相場に異常をきたした証拠であって、
これが目先的に反発しても
単なる反動戻しに過ぎず
再び実勢悪がかぶさってくる。
大衆も大口投機家も、
そして希望に燃えた信念の買い方仕手も、
なにか大きなことを
錯覚しているのではなかろうか。
それは相場は相場であるということである。
生糸相場が非常によい例だ。
砂糖にしてもこれからは
S安の連続毎日という場面を迎えるはずだ。
前にも書いたが現在の小豆相場は
砂上の楼閣である。
それも今ではピサの斜塔の様相を濃くしている。
崩れるときは音をたて砂煙をあげよう。
戻り売りの場面だ。
●編集部注
相場はここから返す刀で、
上昇波動に入る。
なあに戻り売りさと、
余裕でいる売り方が
動揺するような上昇場面が、
数営業日やって来る。
【昭和四八年十一月十四日小豆四月限大阪一万五一〇〇円・四五〇円高/東京一万五二〇〇円・四二〇円高】