昭和の風林史(昭和四八年八月二十五日掲載分)
目先的には下げ止まったかに見え、
反騰もしようが、
戻すことでまた下げ不足分を取りに行く。
「黒きまで紫深き葡萄かな 子規」
相場のほうは戻すところで、
もう一度千円前後反発しそうだし、
反発してもよいところである。
しかし、結果的には、
あくまでも戻りであって
〔底打ち→出直り〕とはならず
〔戻り→大勢下げ途上→戻り売り→再び低落〕となる。
なぜそうなるかと言えば
①大天井を打った相場であるからだ
②高値飛びつき玉が完全に整理されない
③仮りに奇声が緩和されたとしても、
やはり規制下にある市場だから、
いびつである
④尨大な在庫量と平年作ないし、
豊作の新穀出回り期を迎え
供給過剰はまぬかれない
⑤その供給過剰を買い支え、
あるいは買い上げていくだけの仮需要は、
今の段階では予想できない
⑥しかも実需面は、それほど増大が見込めない。
となれば、値段、価格を下げるしかない。
油絵や金のかたまりや、
土地不動産などとは、
まったく性格を異にする穀物である。
いうなら投機の中の投機である。
物価上昇にもテンポがあるし、
上がるものもあれば下がるものもある。
すべてを〝インフレだ〟と、
同じように見るわけにはいかない。
しかし、下がれば、
小豆は小豆なりの妥当な値段で止まるだろう。
どのあたりが妥当な水準であろうか。
一万二千円ともいう。一万三千円ともいう。
需要と供給。
仮需要と仮供給によって落ち着くところで
妥協が成立する。
今の時点では戻りを売る。
なぜなら、大勢的に
大底がまだ入っていないからだ。
大きな戻りもあれば、
中途半端な戻りもあろう。
だが、相場が開き直って、
出直っていく段階には、まだきていない。
思えば暑すぎた夏であったし、
湧きすぎた相場であった。
昔から高下とも
三割以上には向かってよろしい
という金言がある。
二万円の三割安は一万四千円からである。
だいたい今その値段に来ている。
だから、一万四千円以下は
買い下がるという方針も成り立つが、
一万四千円が絶対の買い場になるかどうかは、
残された収穫期までの天候と
、市場人気の動向次第である。
目先的には底打ち型に見えるかもしれない。
●編集部註
ご承知の事と思うが、
この記事は、昭和四八年八月のものである。
それなのに平成二七年八月の金融市場と、
何やら通じるものを感じるのは何故か。
何かを暗示しているようにも思える。
【昭和四八年八月二四日小豆一月限大阪一万四四九〇円・二四〇円高/東京一万四六九〇円・三九〇円高】