昭和の風林史(昭和四八年八月十一日掲載分)
買い方が下げる相場に腹をたてて
〝いてまえ〟と殴り込んでくるところを売ればよい。
「鉦叩蟲七つ叩いて間をおきぬ 雪峯」
規制の緩和も20日過ぎまでは見込みないようで、
農林省の役人の石頭も困ったものである。
名古屋穀取は、いちはやく規制を緩和したいけれど
待ったがかかり、根まわし不十分が露呈され、
みっともないことである。
安田稔協会長たちも口をとがらせ
農林省の非を攻撃してござることだろう。
大穀のシートの売買や出張所の他店への付け替えは、
否も応もなく石頭の農林省の木ッ端役人は
どぎもを抜かれて、委託者が騒がぬことであれば、
やむを得ぬ措置として認めたが、
規制のほうは、
いますぐ委託者にかかわる問題ではないというので、
少し様子を見ようということらしい。
それにしても穀取業界は足並みが揃っていない。
規制をする時もそうだったが、てんでばらばら、
業界には〝全穀連〟という機関もあれば
〝常務会〟もあるし、市場管理委員長会議もある。
要は強力なリーダーが存在せず、
ローカル・ボスがわしが畠のことや、
わが村、わが党のためにのみ好き勝手を唱え、
業界全体、将来のことにまで見通せない、
お粗末さが、なにかあると表面に出てくる。
さて、相場のほうはぼつぼつ買い方も
辛抱の限界に来て『暑い時だ、いてまえ』
ということにならないか。
大阪西成の釜ヶ崎など、夏の夜の寝苦しい時期に
『いってこませ』と一人が大声をあげて
交番の窓硝子に石ころ一ツ投げれば、
ワーッと群衆が集まり、『焼いてまえ』で火がつく。
釜ヶ崎の暴動は大阪の夏の風物詩である。
扇動屋。アジテーターはどこの世界にも存在するので、
小豆相場も、にえくる思いで
S安を眺めていた強気筋の中には『いてこませ』の旗が
ふりたくてウズウズしていることであろう。
安値安値は利食いして、
ボロボロの相場の戻りは力も要れずに、
スーッと抜いて、音もなく
なでるように斬ればコロコロと落ちる。
先限の一万三千円。この相場は戻しては崩れる。
しかも規制が緩和されてごらん。
締めていたひもがゆるんで、サランパランで
水銀を床(ゆか)にこぼしたような、
まとまりのつかないものとなる。
●編集部注
〝夏の風物詩〟と本文にあるが、
西成暴動はこの年の六月に起ったきり、
90年十月まで起らない。
連合赤軍事件も終わり、
政治の季節が終焉を迎えると共に、
ドヤ街に蠢く扇動屋も消えていく。
ここからは癒着と腐敗の季節が始まっていく。
【昭和四八年八月十日小豆一月限大阪一万五四七〇円・三八〇円安/東京一万五五〇〇円・四六〇円安】