昭和の風林史(昭和四八年六月二十掲載分)
買い方は、
マゾ的快楽を楽しむところであろう。
大勢はすでに下降段階にはいっている。
「山々を低く覚ゆる青田かな 蕪村」
殺気というものが、
どこかに消えてしまった市場である。
ふれたら血の出そうなピリピリしたものが
スッーと消えてしまった。
どこか買おうと、誰が買おうが、反応がない。
無気力。投げやり。虚脱感。
小豆相場は、ニヒルな顔つきである。
若さがなくなったのである。
情熱に血もたぎるというエネルギーがない。
一時代が終わった。そのような感じを受ける。
新穀年度に八十万俵を繰り越すと予想される。
作付け七万三千ヘクタールに
反収二俵として百四十六万俵。
その上に輸入小豆がのしかかる。
世界的な穀物不足とはいえ、
二百五十万俵の小豆と府県産小豆を加えて
およそ三百万俵以上のものを、
一体どこまで強気するのか。
収穫までには
天候、作柄に起伏はあるだろうが
仮りに七分作としても
繰り越し在庫を考えるなら、
二万円相場など夢物語だ。
いや、インフレだ。世界的な雑穀高だという。
ものは考えよう。
信念持って、その考えを貫く事は尊い。
そして二千円、三千円、四千円替え
買い玉が引かされても、
マゾ的快楽にふけって初志を貫徹するのも、
あっぱれである。
ニヒルな表情になったこの小豆相場を、
筆者は、筆者なりに考える。
不吉な予感ともいうべきか。
なにか、嫌なものを思わせる。
くるぞ―と思う。
買いはな六百!!抽選!!というやつが。
鳥のまさに死なんとする、
その鳴くや哀しと言う。論語である。
人のまさに死なんとする、その言やよし
―と続くのである。
相場のまさに崩れんとするその姿、
あわれ。
セリを聞いていて感じる時がある。
「力は山を抜き、気は世を蓋(おお)いしに」
という詩がある。
時に利あらずして
騅のゆかざるはいかがすべき
―と。騅(すい)は功籍の愛する名馬の名である。
ゆかしむる、ゆかしむる、
ああゆかしむる
―の名言は源壇ノ浦夜合戦であるが、
霊壁の東南垓下でなげいた西楚覇王は、
力にたよりすぎて劉邦に破れた。
陽(ひ)は南山に没せんとする小豆。
買い方に過信がなかりしか。
過信こそ破滅。
戦況は明らかに買い方から勝運が去っていた。
相場は黙々と下げよう。
●編集部注
あぁ~言っちゃった。
買い方をマゾ扱いするとは
穏やかではない。
これは一つのシグナルだ。
【昭和四八年六月十九日小豆十一月限大阪一万六〇九〇円・七〇〇円安/東京一万六一五〇円・七〇〇円安】