昭和の風林史(昭和四八年六月十一日掲載分)
こんなの相場ではないという。
ならば相場観は通用しない。
何処かで大爆発するだろう。
「月いでて見えわたりたる梅雨入(ついり)かな 蛇笏」
熱狂しない相場、何処までも冷静である。
小豆作付け面積は
二割増反の七万三千ヘクタールと伝える。
本来なら大暴落ものの材料である。
消費地の在庫は六十万俵。
理屈からいえば上がる道理のない相場が
上がっていく。
それは無気味というしかない。
こんなの相場ではないという。
左様、化物である。
こんな相場は過去になかった。
相場を知っている人なら誰でも売る。
売っては踏み、売っては踏む。
精根尽き果てた売り方である。
四千円、五千円幅をひかされている。
十二、三日ごろの冷え込みが
当面の焦点である。
きつい霜がなければ大暴落だ。
それまでの辛抱と売り方は目をつむる。
霜が降りたらS高二発。
手亡が一万三千円。
小豆が二万円しても
その面から比較すると
決して高いとはいえない。
相場は比較観で成りたつ。お米との比較。
見ていると売り方の踏みに対して
買い方の利食い。
淡々と値段がつけられていく。
無表情にカードをめくっている大きなゲームである。
発狂しそうな人もいるだろう。
熱狂する凄さがない。
静かな凄さだけである。
踏みにくい。とても買えない。
しかし買った人はすぐ利になる。
一万八千五~六百円の値段から
押し目が入るだろう。
この押し目に対する見方がむずかしい。
崩れと判断して叩き込むかもしれない。
しかし深く下げて千五百円、
あるいは千円の押しが入れば
ぬく手も見せず逆襲が入るかもしれない。
結局二万千円。それからの作況によって
二万五千円に走るのは早いだろう。
そのころは手亡は一万五千円かもしれない。
売り方の三晶が踏んでくれば
警戒しなければならない。
大阪でも売り建て玉の目立つ所が
煎れてくれば深く押しが入るだろう。
煎れがでだすと
火薬庫に火が入ったような状態になる。
それまでには押したところを買うしかない。
相場でないから相場の勘は通用しない。
●編集部注
この文章、
最後の一行が全て言い表している。
パラジウム相場の時もそうであった。
証拠金の値を上げようが、
何をしようが、
相場が無情に上がっていく。
バブルなのだが商品のそれは株とは若干違う。
【昭和四八年六月九日小豆十一月限大阪一万八〇五〇円・一六〇円高/東京一万八二一〇円・一六〇円高】