昭和の風林史(昭和四八年六月二十九日掲載分)
相場感や相場観は、まったく無用という市場になった。
弱肉強食の時代。力は正義なりの動き。
「ひっぱる糸まっすぐや甲虫 素十」
前場一節の立ち会い中に
時事のファックスが
〝アメリカが大豆の輸出船積みを停止〟
というフラッシュを流したことから、
ぼんやりだった相場が硬化した。
小豆は二日連騰S高で、
この勢いだと
新値を取りに行くかもしれない
という人気。
ここにきて、
市場は再び強気支配である。
大石も急所、急所に買いを入れる。
六千円割れをかなり売ったのを
逆に狙われた格好だ。
当たり屋筋は
『なにも考える必要はない。
買いあるのみ。
相場は押し目を完了した。
この押し目幅二千六百円の倍返し、
即ち二万八千円。
壮烈な踏み上げ相場が展開する』
と確信している。
しかし、そうは言っても、
この相場、なかなか買いにくい。
売りやすく買いにくいから
上のものかもしれぬが、
産地の作況を見ると
首をかしげるのである。
強気は
『在庫だとか作付け面積だとか
作況など無視すべきで、
今の相場はすべて
物の値打ちを見直すインフレ相場』
―という。
株式市況も冴えぬことから
巨大な投機資金が
商品市場に流れ込んでいる。
市場の器より大きな資金が
入っているのだから、
なまじ相場の強弱など無用である。
『いや、相場感など邪魔になる』
―という考えでなければ絶対に儲からぬ。
要は感覚的に割り切る事が
出来るかどうかだ。
そう思えば二万円も相場だし、
と言って六十万俵の在庫に
平年作の小豆が重なれば、
仮需要だけで高値を維持できるか
不安でもある。
小豆の現物を単に投機商品として
手持ちしているだけでは
金利、倉敷料、
それに品質の問題などもあって
リスクは大きい。
実需が伴ってこそ
思惑も成功するのである。
二十万俵、三十万俵の現物を
一度に消化するには
定期市場しかあり得ない。
手亡のほうは規制強化を懸念して
高値警戒気分である。
しかしこれも
巨大な投機資金が介入すれば、
一万五千円も六千円も付けられるだろう。
大衆が買いつけば、
もとより利食い売りに出るだろうし、
単なる相場観で売れば小豆の二の舞だ。
近寄りにくい存在である。
●編集部注
ぼやいてはる。
このぼやきが読者を魅了する。
【昭和四八年六月二八日小豆十一月限大阪一万七四二〇円・八〇円高/東京一万七五六〇円・二〇〇円高】