昭和の風林史 (昭和四七年三月二九日掲載分) (2014.04.18)
叩き屋を殺せ 相場を育てよう
口に正義を唱え心に邪心あって売り叩かば、
天は必ず筆誅を加え征伐せん。
相場は強気方針。
「菜の花や月は東に日は西に 蕪村」
半値になった相場を、まだ売り叩こうとする。
それは正気の沙汰でない。
大衆が値ごろ観で買うから、ぶっ叩いてやれ、
という了見は、少々お淋しい考えで、
離れていた大衆が、ようやく穀物市場に
出てきたのであるから、
花飾りのアーチをつくらないまでも
歓迎するのが本当である。
『たまには儲けさせてやれよ』と筆者はいいたい。
いや、儲けさせる、損させるという言葉には、
誤解を生ずるかもしれないが
筆者が言いたいのは、
せっかく正常化しようとしている市場を、
仲間内の〝筋こい〟連中が
寄ってたかって売り叩く、
相場の強弱は自由であるが、
大衆が買うから売り向かう―という、
目先だけのことしか考えないようでは、
穀取市場の繁栄は百年河清を待たなければなるまい。
相場を育てる。
市場を育てる。
この事が肝要である。
市場を大きくし、相場を大きくしさえすれば、
泳げる場所もそれだけ広くなる。
それには、やはり大衆の大々的な参加がなければ、
この一年見てきたような、
狭いところでのクロウト仲間の取り合いになる。
筆者に言わせれば今度の小豆の暴落は、
インチキである。
しかしそれは済んだこと、いまさら言っても詮ない。
インチキも相場の内。
ただ幸いにして
大衆の参加していなかったということが、
わずかながら穀物業界にとって救いであった。
でなければ、
前には東穀二・一八事件(強制解け合い)があり、
穀物業界は、なにを信用してよいのか判らない―
と大衆は必ず言うだろう。
さて、阿波座連合や山梨筋が
寄って叩く相場であるが、
下値はきわめて堅い。
天下の山梨が真赤な顔して、
どれほど売り叩こうと
下がらん相場は下がらんのだ。
世の中は広い。
どのような怪物が出現するか判らないのが
今の世の中である。
筆者は山梨の売り叩きは邪心ありと見る。
口に正義を唱え心に邪心あらば相場必ず、
ひん曲がろう。
大衆は、千丁、千五百丁
引かされるつもりで買っている。
安ければ、さらに強気がふえる。
ベトコンや人海戦術にはアメリカでも勝てないのである。
●編集部注
当時の売り方はこの文章をどう読んだのだろう。
現状を見る限り「何を甘い事を…」と
せせら笑っていただけかもしれない。
【昭和四七年三月二八日小豆八月限大阪六二〇円高/東京五四〇円高】