昭和の風林史(昭和四七年三月二一日掲載分) (2014.04.09)
阿鼻叫喚なり まさに地獄絵図
増山氏は実によく戦ったが
資力、気力が尽きたのだ。
死屍累累たり。仕手崩れは凄惨である。
「朧夜や殺してみろという声も 虚子」
仕手戦の末路とは、こういうものである。
市場には、いろいろな噂が流れているが真相は、
だいたい次のようである。
①増山氏が戦意を失った。
資金バックである日商岩井が三月決算で、
資金面を凍結してきたことが大きな原因。
②増山氏自身が千葉銀行の株券(日商岩井名義)を
証拠金に数日前から売りに回っていた。
③現引きした小豆は
第一製パンに売れていると宣伝していたが、
意外に売れていなかった。
④増山氏自身が、ほうぼうで売っている玉を
霜村昭平氏が、あたかも売っているように宣伝した。
⑤市場では霜村氏が
表面増山氏に協力しているように見せながら、
裏で大量に売っていたという見方をしてるが、
山梨は現物面で増山氏に協力していた。
そして16日には定期で六百枚を買って、
持ちの持ちになった。
⑥山梨の売り建て玉は
丸五系の玉と見られ五百枚はある。
⑦増山氏は座禅を組みに山に入った。
総額二十数億円の損失。
⑧手持ち現物を日商岩井は極力定期につなぎ、
債務整理にはいろう。
今月納会の受け手は現在のところ見当たらない。
山大も犠牲者である。
山梨も犠牲者だ。
脇田も北海道明治も犠牲者である。
山三桜井氏もそうであろう。
大仕手戦は、
あと味がきわめて悪い格好で幕をおろすものだ。
相場は一万円そこそこまで崩れるだろう。
これから終戦処理にはいるところだ。
終わってみればあっけないものである。
定期の末整理玉もまだ相当に残っている。
そしてタナ上げの現物の処理が
今後の穀物相場全体におおいかぶさるだろう。
おもえば増山氏も実によく戦った。
延々二カ年にわたる戦いであった。
相場は一万円そこそこまで崩れ落ちれば、
玉整理も完了するだろうし天候相場にもはいる。
そうすれば落ち着く。
しかし、ふり返れば誰彼を問わず犠牲は大きかった。
死屍累累たり。
凄惨(せいさん)というべきであるが、
これが相場である。
長い目で見れば大きなシコリが、
ようやくほぐれるのである。
●編集部註
現在の東京市場のCBは発動してもまた再開する。
そのため理論上では相場は際限なく動く。
しかも今は深夜営業もある。
振り返ると値幅制限という制度は
存外、曲がり屋に優しかったと思う。
風林火山の予言通り、
この後相場は玉整理から一 万円割れを経験する。
ただ本格的な値崩れは
まだ大分先の話になる。
【昭和四七年三月十八日小豆八月限大阪七〇〇円安/東京七〇〇円安】