昭和の風林史 (昭和四七年一月十二日掲載分) (2014.01.31)
値ごろ観無用 合掌拝み打ち!!
目立つ買い建ての店のどこかが、ぶちあげてくるまでは、
下げが止まらない相場だ。値ごろ観無用。
「而して無為にもあらずふゆごもり 非文」
戻さなければどうか。なお悪いのである。
小豆相場の大勢は芒々(ぼうぼう)漠々(ばくばく)、歴然とした革命的崩壊場面にある。
人々は、ここまで下げてきた相場を―という考えが、瞬間脳裏を走るから相場を悪い―で、売りきらない。
たとえ売ってもすぐ利食いしてしまう。
革命相場に値ごろ観はまったく通用しない。ただ無心、無我の境で念仏三昧(ざんまい)で売る。
〝売り込み〟にならないのも今の相場の特徴である。売り込みは、反騰への原動力である。
だが、売っても、売っても、すぐ利食いになるから淡雪のように消えてしまって、売り込んだことにならない。
利食いした人は、戻したら売ってやろうと、手ぐすね引いて待っている。
だから、相場も、そのことを知っているから、戻らない。
<戻すから悪い>の現象より、さらに悪化している現象が<だだ洩れ>で夜が明けると安い。
しかし、どこかで反発するだろう。反発待ちである。判りやすい売り場になる。大地を叩く槌は、はずれようと、その戻りを売る売りは、はずれない。
相場は非情であるということを、つくづく思わせる相場である。
相場の苦しみを知る者にとっては、いま買い方の苦痛を、わが身の如く感ずるのである。それはまさに鬼気せまるものがある。
しかし、これだけは、どうにもならない。
相場は、なお崩れていくのであるから合掌して売るしかない。相場は峻厳だ。
消費地に在庫がたまる。品物は売れない。なお輸入物が増大する。仮需要も湧かない。
そして致命傷は、取り組みが悪いということだ。
目立つ建て玉の買い店が慙死(ざんし)しなければ下げが止まらない。
〝もの言わじ父は長柄の人柱、鳴かずば雉もうたれざらまし〟
これからの場面は、きわめて、あと味の悪い暴落場面につながるような気がする。
それもまた〝相場〟だ。
●編集部注
相場が底打ちした時、〝コツン〟と音が聞こえるのだとか。小生相場の新参者故、残念哉これまでその音を聞いた事がない。
大概が幻聴に踊らされて買う。
幻聴と判って買う人もいる。ただその人はちょっとの値動きですぐ撤退してしまう。存外、そういう相場が強い。
【昭和四七年一月十一日小豆六月限大阪三〇〇円安/東京四五〇円安】