証券ビュー

森羅万象

昭和の風林史 (昭和四七年一月六日掲載分) (2014.01.24)

わかりやすい 戻れば売るのみ

相場はまだ下がるだろうが、

買い方は、だるまのように目をむいて、

じっとしていなければならん。

「凧の糸 天には見えず 指に見ゆ 誓子」

この日(5日)の地合いから論ずれば、まったく悪い。

三本足で止まったと見た値(四千四、五百円)を

放れて寄り付いて、あとズッコケは

〝捨て子〟にもなるかわり、

値段を申せば一万三千五百円あたりが見えている。

輸入小豆の圧迫。不需要期。

取り組み悪い。無理した相場。

高水準。なんとでも言えよう。

買い方は、申すまでもなく苦しい。

その呻吟(しんぎん)している声が聞こえそうである。

だが頑張る。

辛抱する木に花が咲く、待てば海路の日和かな。

投げるに投げられないというのも辛(つら)ものだ。

投げ出せばストップ安三発、

即ち二千円下の一万二千五百円あたりまで一本道だろう。

まるでそれは、蜘蛛の糸にからまった格好の大手買い方だった。

非情のようだが、

相場は〝判りやすい戻り売り型〟になっている。

どうにもならない。

買い方にとっては〝忍〟の一字である。

それを逆境という。

名経営者と言われた鐘紡の津田信吾氏は

『すべからく逆境の時、腕を組み逆らうことなかれ』と喝破した。

現在の買い方は

腕を組み黙然と黒板をにらみつけるしかない。

それも相場である。

細工を弄するから、また悪くなるというもの。

ここは大悟するところである。

「地獄の底で握手」するつもりで。

東京市場では三晶が売っていた。

なんとなく薄気味悪い嫌な売りである。

無言の凄味というのであろうか。

買い方が勝運に乗っている時は、

山梨の買い手口に無気味な威圧があった。

今は、まったくそういう殺気を感じさせない。

背景というものは怖いものである。

人間でもそうだ。

大銀行の役人など現役時代は、

まぶしいほど大きく見えるが、

いったん定年退職して一、二年を過ぎると、

この人が、あの人なのかと思わせるほど、

しょぼくれて、ただの人になってしまう。

買い方は、今現在、時を得ていない。

十の力も三ぐらいにしか世間には映らないものである。

だが面壁三年、手も足も出ないだるまでも、

目をむいて、じっとしておれば一ツの絵になる。

相場はまだ下がるだろうが買い方は、

辛抱するところである。

相場とは真(しん)に苦しいものである。

●編集部注
 毎日、その日の取引の手口が公開されていたからこそ

書ける記事である。 

確かに豆の現物屋さんが、

先物で売ってくるとなると不気味だ。

【昭和四七年一月五日小豆六月限大阪二三〇円安/東京二〇〇円安】