昭和の風林史 (昭和四六年十月二十日掲載分) (2013.11.08)
ぶん投げ場面 どこかであろう
手亡は売り一貫。
七千三百円から時に七千円を割る事だって充分考えられるのだ。
「筑波見て止らんと思ふ秋の情 碧梧桐」
手亡の相場は、ここから売っても―という値ごろ観があるため、
高値掴みて、高いところの買い玉のみ残されている。
繰り越し在庫二十万俵という。そして新穀の出回り。
実勢悪が、ひしひしとのしかかってくる。
相場は人気の花とはいいながら
十月限を九千六百六十円、十一月限を一万百九十円、
十二月限を九千二百四十円―と鳥もかよわぬ高値に買って、
つまらん刺激をあたえたものだ。
現物という現物が、にわかに動いて定期にヘッジされた。
商品市場の投機家とは、
自らの名において危険を負担する人たちである。
それらの人々が高値を買って、今、呻吟している。
さて、売り方の顔ぶれは、錚々たるものばかりである。
東京市場=日農、山梨、三忠、豊、三幸。
現物につながる実弾背景だ。
大阪市場=第一、広田、丸五、マルモト、乙部―
いわゆる阿波座筋である。そして豊、丸神。
名古屋市場=代行に百六十二枚の早渡しをぶら下げて、
江口、岡地と、小豆戦線を苦戦してきた顔ぶれだ。
手亡相場の売り方、買い方の顔ぶれは、
あきらかに十指の指すところ売り方有利。
しかも取り組みの内容が大衆のベタ買いときて、
さらに実弾豊富。
市中には手亡の在庫が特に目立つ
昨今、これが相場の出直りなどは、
まさに不可能といわざるを得ない。
そして、手亡は大きくも戻せない。
少しでも戻せば売り物が狙い撃ちである。
日数はかかろうが(ジリ貧)手亡十二月限の七千三百円。
否この実勢悪がつのれば七千円割れの場面だって充分考えられるのである。
手亡のやりにくさは知らぬ間に大損させられることである。
過去にどれだけこの手亡の相場で大手筋も、
クロウトも相場巧者も、いためつけられてきたかわからない。
●編集部注
商品取引外務員試験の勉強で、最初に出てくるのが、
先物取引による「価格の平準化」機能である。
小豆でも手亡でもいい。
値が高すぎれば、お百姓さんは高く売れて嬉しいが、
消費者は困る。
逆に値が安すぎれば、消費者は安く買えて嬉しいが、
お百姓さんは困る。
そんな価格の上下の振幅を狭めるために、
存在するのが先物取引であり。
この取引を請け負うのが投機家であり、
その投機家の注文を承るのが商品取引員であり、
その取引員の中で活動するのが外務員である、と教わった。
機会にお金を投じるのだから、
投機家は「機を見るに敏」でなくてはならぬ。
故に外務員は、相場の動きを鋭敏に捉え、
顧客に好機を伝える伝令とならねばと思った。
ところが、営業部に配属されると、
相場観無用の新規玉至上主義と、
上からの理不尽な減玉を許さぬ指示。
何も知らぬ顧客に、危険を負担する覚悟はなく、
つまるところは両建ての世界。
機を捉えようと相場を見る事は許されぬ空気の中、
口八丁手八丁の詐話師が出世していく世界。
この業界は跳梁跋扈の世界が長く続き衰退した。
しかし、むしろこれからが面白い。
ルネサンスが始まろうとしている。
【昭和四六年十月十九日手亡十二月限大阪七八〇〇円・二九〇円安/東京七八五〇円・二九〇円安】