昭和の風林史 (昭和四六年九月十六日掲載分) (2013.10.07)
天井圏に突入 買い方軍を退け
買い方は矛(ほこ)をおさめる時だ。
良識と理性を期待する。
「城亡び松美しく色かへず 風生」
小豆、手亡とも二日連続のストップ高となった。
当欄で予測していたSS二連発である。
市場のほうも、ようやく騒然としてきた。
買い方仕手の強引さに対する批判の声も強い。
買い方仕手は、かなり感情的になっているようで、
市場など潰してしまっても構わぬという態度が見られる。
それというのも、やはり売り方のキタない陰謀に対して、
もって行きようのない憤懣を今の環境と、
立場を利用して相場にぶっつけているのかもしれないが、
一時の感情と利害によって行き過ぎると、
必ず後悔することになろう。
相場は青天井ともいう。
桃源の二万五千円という声も聞かれる。
現物を煽って、市場の狭い北海道市場を私物化すれば
上値は付け放題である。
しかし考えようによっては、買い方は
自らの手で自分の首を締めているようにも思える。
市場が破壊されるということは、
立ち会いが停止されるという単純な減少だけでは済まされる。
売り方が清算不能になり、取引員が倒産すれば信用不安に陥り、
ひいては利食い金回収さえ危ぶまれることになる。
取引所当局者は、厳然とした態度で、
大手売り方、そして大手買い方に強い姿勢で
自粛を要望すべき時期に来ていることを認識すべきだ。
相場についての強弱はすでにない。
あきらかに、ここまでくればインチキ博打である。
しかも意地、遺恨による暴力でさえある、
世間は、どう見るであろうか。
恐るべき商品業界内部における
恐るべき小豆相場の暴力沙汰としか映らないであろう。
売り方も、買い方も頭を冷やさなければならないのだ。
そして二、三の大手買い仕手も良識と理性を回復すべきである。
市場を牛耳っているのは、ほんの二、三の仕手である。
彼らには彼らの言い分もあろう。
だが腕力による市場破壊行為については、
取引員が毅然とした態度で
抑制しなければならない義務があろう。
主要取引員は
この際置かれている立場を振り返らなければならない。
●編集部注
商品取引所は、あくまで〝やっちゃ場〟であって
〝鉄火場〟ではない。
投機によって
価格を平準化させる装置である事を忘れてはいけない。
目先の欲望に駆られて
飯のタネまでなくなっては本末転倒ではないか。
金融の世界で、
こういう論陣を張る人が、現在いなくなった気がする。
買いあっての売り、売りあって買いなのだ。
【昭和四六年九月十四日小豆二月限大阪三〇〇円高/東京三六〇円高】