昭和の風林史 (昭和四六年九月六日掲載分) (2013.09.25)
風嫋々(じょうじょう)たり 落日釣瓶おとし
秋の日は、つるべ落としという。
「をりとりてはらりとおもきすすきかな 蛇笏」
凶作に買いなしという言葉がある。
凶作決定的と万人が認め、
相場もまた凶作を買ってしまうと、
たとえどのような材料、
たとえは、もう一度霜が降りたとしても、
逆に相場が安いということもあり得るのだ。
現物が欲しくて買っているわけではない。
買っている人の九五%までが
値ザヤを狙っているのである。
すなわちこれを人気と言い、仮需要と言う。
さてドラマチックであった前週の動きで、
ひとまず相場を出しきった。
いわば山場を過ぎたのである。
エネルギーを燃焼し尽くしたあとは
千五百円ぐらいの自律反動からくる下げが入るのが定跡で、
さして驚くには当たるまい。
この場合、利食い急ぎと基調崩れと見る売り追撃で、
ともすれば下げすぎることがある。
相場の行きすぎは、
上にでもそうだが、下にもそれはある。
市場の背景は冷害凶作が厳然としているから、
下げすぎれば当然見直し買いがはいる。
筆者は、自律反動によって下げたあとは、
一万八千八百円、
すなわち新穀の九千円相場があるだろうと
今は思っている。
しかし、情勢次第では
九月上旬に湧いて付けた値段が
大天井になることも考えておかねばならない。
平凡に、ぼんやりと今の相場を考えてみた場合、
凶作織り込み/イレ出尽くし/取り組み変化/
日柄経過/規制強化/市場維持/
買い方に対する牽制/大衆筋の買い気―
そのどれを見ても売りに分があるし、
下げ足に弾みがつくと 秋の日は、つるべ落としである。
もとより需要期、収穫六十万俵、
今後の霜害、病虫害などの材料はあるけれど、
それらの材料を相場は腹一杯詰め込んでいるから、
その時は敏感に受け付けない。
もっとも値ごろ水準にもよるし、
取り組みにもよるが。
弱気になるわけにはいかないが、
これからは買い方が
自分の力で相場を下げさせる因縁をつくるだろう。
売り方が自らの手で相場を突き上げ、
終局はわが手で首を締めたように、
次は買い方が相場を崩すことになる。
●編集部注 桐一葉落ちて天下の秋を知る―と書いて、
ルネサンスの終盤を季節に例え
「中世の秋」を書いたのはホイジンガ。
執筆時、風林火山は、
小豆相場に秋の訪れを感じたのかも知れない。
市場は市場で「飽き」か「厭き」を感じている。
日足を見ると、相場は膠着戦型の市場心理を投影。
放れにつけの典型。
【昭和四六年九月四日小豆二月限大阪四三〇円高/東京二九〇円高】