昭和の風林史 (昭和四六年八月十四日掲載分) (2013.08.30)
戦略なき買い方
戦略もなし。戦術もなし。
ただ防衛あるのみの買い方。
支えているうちだけが強張っている。
「朝ぐせのばらばら雨や桐一葉 一茶」
蒋介石を相手にせずと近衛さんはおっしゃった。
今の小豆小場は
〝期近三本相手にせず〟という市場である。
前二本は山大・山梨両社におまかせでよい。
そして十月限は近藤紡にまかしておけばよい。
だから商いの早い事、
場が立ったかと思うと、もう終わっている。
大衆にソッポをむかれた市場は滅亡する。
穀物市場もその傾向なしとしない。
手亡の相場を見たまえ。
チップ出しても仕掛ける人はいなかろう。
大衆は愚鈍に見えて賢である。
手亡相場など仕掛ける奴は馬鹿である―
といった環境になっている。
小豆の旧穀限月にしても同じである。
山大・山梨両社は今月も受ける方針であろう。
現を受けて期近を支えなければ
先三本はすでに四千円割れの相場である。
そうなればそれこそ一万七千円の高値を実現しようものを、
ウンウンうなって、押しの一手で支えるから相場にならない。
相場なんて買えば騰がるという単純なものではない。
崩して、売り込んで投げさせて、
弾みをつけて尻っぺたに鞭打って
拍車をかければこそ飛び上がるのである。
相場師・伊藤忠雄氏にしろ、中京の小川文夫氏にしろ、
買うばかりではなかった。
時に値を崩し、相場を冷やしたりするから
さらに燃えひろがって熱狂した。
見ていると山梨・山大は
愚鈍なる買い方のように思えてならない。
両社の買い玉は合計八千枚に達している。
ただ買うのみである。そこには戦略がない。
戦術がない。防戦あるのみである。
本来ならば、相場は白熱沸騰湧き返り、
商い高増大のところである。
ただ買うのみでは
宴会場での鯨食馬食みたいなもので芸がない。
ものごとすべて限度があって、
信念も行きすぎると馬鹿の一ツおぼえとなりかねない。
買い方は苦しいのか楽なのか、
そこのところは知るよしもないが、
相場が言うことを聞かんじゃないか。
落葉病とか立ち枯れ病とか聞くも
淋しい病気の名を言うが、相場はさっぱり元気が出ない。
それというのも相場が買い疲れ病にかかっているからだ。
もとより買い方も必死である。
すべての旗にそむいても、
防衛戦を死守せざれば存亡の危機ならん。
ああ将軍突撃す。
●編集部注
舌鋒鋭き哉。
相場なんて買えば騰がるという単純なものではない―。
ここから始まる啖呵は、仰る通りと肯くしかない。
ただ、刃が鋭すぎる。それはやがて己に向かう。
【昭和四六年八月十三日小豆一月限大阪三〇円安/東京二〇円安】