昭和の風林史 (昭和四六年七月二十九日掲載分) (2013.08.07)
崩れる相場だ
内部要因が悪い
◇…反撃なるや―と見守っていたが、
あらためて相場の疲労というものを見直したところ。
戻り売り。
「流し呼ぶ女の櫛の落ちそうな 映草」
◇…産地の天候が甚だよくない。当然作柄も悪い。
ここは強気しなければならないところである。
だが―八、九月限は建て玉の制限と証拠金が大きすぎる。
一部特定の相場クロウトか、当業者しか手が出ない。
大衆は新穀限月に限られてしまう。
◇…それでは十一、十二月限を、ここから強気するとしようか。
目標値は?。凶作決定なら一万七千円。
それ以上のものではない。
なぜなら一万七千円近くともなれば必ず大幅の増し証と、
建て玉の制限という規制がなされようし、
買い方良識派も市場維持を考慮して、買い玉を降りるであろう。
◇…相場が高いのは、幾ら高くても構わないのであるが、
過熱化することは感心しない。
そこで取引所は早手まわしにシバリをかけて市場の安定を計る。
◇…ところで、上値が千円ほどなら、売り上がったらどうだろう―
という考え方が出るのも、これは当然である。
◇…先二本の六千円台は買い玉が鈴なりである。
この大きなシコリを買い切ってしまうには、
よほどの強力な材料と、買い方の熾烈な陽動とを必要としよう。
◇…だが、現時点で、これほど大きな材料(作況悪)が
出ているにもかかわらず相場はどちらかといえば非常に重たい。
六千円を買い切るには、
今以上に作柄が悪くならなければ駄目だとも言えるし
買い方は現物を納会ごとに受けて、
それをストックして、しかも定期市場を陽動していくということは、
物量的にも資金的にも二正面作戦で大変な負担であろう。
◇…さらに怪物近藤紡が新穀限月に、その資力にものを言わせて、
しかも相場の弱っている急所を纒って売れば、
市場人気は一夜にして総悲観に傾く。
買い方も、怪物のような伏兵が市場に存在する限り
制空権、制海権を握っての縦横の駈け引きがセーブされるわけだ。
◇…買い方は戦線を拡大しすぎた感もある。
反撃なるや―と納会にかけて反騰を見守っていた市場も、
ここに相場の疲労をあらためて知った。
●編集部注
上の文を読んで、思い浮かんだのは夏目漱石の「草枕」の冒頭である。
〝智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい―〟。
更に読み進めると、文章はこう続く。
〝喜びの深きとき憂いよいよ深く、
楽みの大いなるほど苦しみも大きい。
これを切り放そうとすると身が持てぬ。
片づけようとすれば世が立たぬ。
金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間まも心配だろう―〟。
その煩悶の先に、
人の世には絵が出来、詩が生まれると漱石は書いた。
相場世界には、いったい何が生まれるのだろう。
相場は下がるために上がり、上がるために下がると言うが、
なまじ、半月前に大きな動きを見ていると、
この時の相場は、上げも下げも中途半端。
我慢の相場を強いられるなか、相場師は煩悶する。
煩悶の先に、その相場師は幻想を見た。
幻想と現実が一致すれば勝ち、乖離すれば負ける。
誰もが一度は通る、相場難儀道のはじまりだ。
【昭和四六年七月二八日小豆十二月限大阪一三〇円高/東京二〇円高】