さんざん原子力を推進 これからは太陽エネルギー (2011.06.30)
風見鶏の中曽根康弘。
元海軍中尉は大戦末期に、
フィリピンに集められた金塊の一部を
台湾に運んだ人物でした。
ヒロシマのキノコ雲を目撃した後、
児玉誉士夫の弟子となり、政治家を目指しました。
国家意識を持ち続け、憲法改正を掲げ、
日本「不沈空母」化の推進者となりました。
今、自分が導入・推進した原子力を捨て、
太陽光へ大変節です。
自分で創ったものは、
壊したり、捨てることもできる。
国内の原発利権は解体に向かいます。
フリーメーソンの間では、
文明史的な大転換が話されているにちがいない。
ビルダーバーグ以後、
政権の在り方も切り崩されていくのだろう。
科学技術庁長官や原子力委員長を歴任するなど、
原発推進の先駆者だった中曽根康弘
現役のころから「風見鶏」の異名を持っていた中曽根氏だが、
世間の評判は賛否が渦巻いている。
日本の原子力発電は、
研究開発費が初めて国家予算に計上された1954年がスタート。
予算を提出したのは、
当時改進党に所属していた中曽根元首相らだ。
中曽根氏は次のように語った。
「人間の発展は、自然の中のエネルギーを
いかに手に入れて文化とするかであり、
それが人間と自然の関係です。
原子力という巨大なエネルギーも
人間のために有効利用するというのが知恵で、
自然との闘いを部分的に克服してきました。
しかし、原子力には人類に害を及ぼす一面もあって、
それを抑えるのが人間の文化と歴史です。
今回の事故もその中で捉えたらいいかと思います」
そして、次のように締めくくった。
「これからは太陽エネルギーに転換していく段階でしょう。
これをさらに上手に使うというのが、
文明であり、進歩これからは日本を太陽国家にしていきたい」
御年93歳にして弁舌滑らか、
風見鶏ぶりは今なお健在の様子だった。
7月後半からは、東京地区で
巨大地震の可能性が高まっています。
首都圏の皆さん、
すでに、5月23日に、本欄で書いたことですが、
「できれば、田舎。
それも、石清水のあるところに、
小さくてもいいから、
すぐに、拠点をもつことをお勧めします」