証券ビュー

森羅万象

「豌豆の手枯れ竹に親すずめ」 蛇笏 (2017.06.01)

昭和の風林史(昭和五十年五月二二日掲載分)
手亡売り続行 判りやすい相場
手亡相場に対し強気がふえているが、
手亡相場に買いはない。売り一貫。
買うなら小豆の悪目だ。
「豌豆の手枯れ竹に親すずめ 蛇笏」

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「鮒鮓や彦根の城に雲かかる」 蕪村 (2017.05.31)

昭和の風林史(昭和五十年五月二一日掲載分)  
競争に耐えず 亡びゆく宿命に
手亡は国際競争力に耐えず亡びゆく豆だ。
亡びるものは悲しく美しい。手亡の下値三千丁あり。
「鮒鮓や彦根の城に雲かかる 蕪村」
E女王歓迎の宮中晩餐会で
三木総理が居眠りしたとかせんとか週刊誌に書かれるようでは
三木さんも長くはないようで、あとは大平有力。
そうはさせじで福田が巻き返すから経済企画庁主導型の
一大景気回復が六月以降見られるだろうと期待している。
三木さんも、クリーン三木と期待されたが、今になると頼りない。
それに近ごろの顔は憔悴しきっている。
総理大臣が、あの顔では駄目だ。
陰気なイメージを払拭して福田主導の一大景気刺激策なるか。
なれば商品相場は大反騰に転じよう。そう期待している人が多い。
しかし手亡は駄目だ。手亡は亡びゆく豆である。
これは世界の白系豆の趨勢を見ておれば、残念ながら仕方がない。
国際相場。国際価格の波をかぶっているわけだ。
手亡は安過ぎる―という声を聞く。ピーに押されて安い―となげく。
だが、過去の手亡の相場は国際競争の圏外にあっただけで、
決して国際価格に見合うものではなかった。
商品の存在は価格に左右される。手亡がピーに押されても、
自由主義経済下では仕方がない。
そのため生産が減る。それは運命であり宿命だ。
日本経済が自由化に踏み切った時、
国際競争力のない、いろいろな商品が消えて行った。
いま、手亡も国際競争力に耐えられず亡び去ろうとしている。
亡びるものは悲しく美しい。
手亡相場もうら悲しいものを持っている。
だからと同情して買うことは禁物。
取り組み二十万枚。せめても亡びゆく手亡相場のはなむけである。
かつて手亡が、こんなに取り組んだ事はない。
手亡のミステリーの謎は案外そういうところにあるのではないか。
大衆は安値で売った。
千丁戻しで踏んだ。また買ってくるだろう。
そうすると、声も出ないほど叩かれよう。
手亡相場は、壮絶な死に方をするだろう。
徹底的に売るのが、亡びゆく手亡へのはなむけだ。
投機家は手亡と共に亡びてはいけない。手亡の下値三千丁あり。
●編集部注
 三木武夫はバルカン政治家の代表とされる。
良くも悪くも「機を見るに敏」な政治家の事だ。
 一方、清濁併せ呑む政治家の代表が田中角栄か。
 人心が離れはじめた当時の三木は、
絶妙のタイミングでライバル田中の〝濁〟の部分を責める
【昭和五十年五月二十日小豆十月限
大阪一万七二六〇円・四一〇円高/
東京一万七二四〇円・三四〇円高】

「河鹿鳴く水打って風消えにけり」 亜浪 (2017.05.30)

昭和の風林史(昭和五十年五月二十日掲載分) 
誰が為にある 売るためにある
手亡相場は売るためにあるようなものだ。
誰がために鐘は鳴るではなく、売るために手亡がある。
「河鹿鳴く水打って風消えにけり 亜浪」
手亡の十一月限は、どのあたりに生まれるか。
そしてその生まれ値が、
どうなれば強いと判断し、逆に弱いと判断するか。
十月限が基準になる。
十月限と十一月限の格差が二千八百円。
それに諸掛りとクレーム料五百円と見て三千三百円幅。
十月限より三千三百円上に十一月限は
生まれなければならないが、
とてもとても、そのような力はあるまい。
仮りに二千八百円だけのサヤを買って生まれたとしても、
すかさず黒塗りの矢が飛んでいく。
ブラック・アローの的になる。
米常商事の大阪支店の加藤憲一氏が
夕方遅く仕事の帰りだ―と小生の事務所に立ち寄った。
小生はウィスキーをなめていたところで一杯おすすめした。
話は相場の事で、加藤氏の言うには、
随分昔の〝風林〟の記事で、
毎年毎年桜の散る時分になると
必ずその言葉を思い出すと言う。
ウィスキーで少し赤くなった顔で
『花は散る散る相場は下がる。
下がる相場に追証がかかる―』

実に名文句だ、風林語録の中の傑作だ―と言う。
今年も桜の散る時分、
やはり下がる相場の追証を取りに走っていた―と。
書いた本人は、もう忘れていた。
物書きの悪い癖は、書いた事を忘れてしまう事だ。
書かれた人にとっては、いつまでも忘れられない。
刃(やいば)の傷は、
いえるとも心の傷はなおりゃせぬ
―と言う。
花は散る散る―か。
桜のころの相場は、たいがい安い。
筆者は、来年三月花散るころ―の
手亡の事を書こうと思っていたら加藤さんを思い出した。
それで、手亡を売って、まず一億円―
というキャッチフレーズを考えた。
本年十月末の手亡供給量は
49年産手亡の繰り返し約二十五万俵。
ピービーンズ(新ワク分を含め)約二十万俵。
合計四十五万俵。
気絶しそうな量に50年度産新穀手亡が乗っかる。
来年三月までタライまわしされるピービーンズを思うと、
六月二日新ポを待たず十月限手亡を売って、
十一月限も十二月限も建つごとに
売れば億単位の利食いだ。
●編集部注
燃料も入った。
買いシグナルも既に
五月九日のローソク足で点灯した。
ジェットストリームに乗った昭和五十年の
小豆上昇相場がついに始まる。
城達也の語りによる「ジェットストリーム」が、
この八年前からやっていたというから驚きだ。
【昭和五十年五月十九日小豆十月限
大阪一万六八五〇円・一四〇円高/
東京一万六九〇〇円・一七〇円高】

「堅田鮒雨のあがりて日に少な」 涼舟 (2017.05.29)

昭和の風林史(昭和五十年五月十九日掲載分) 
ヘドロの如し 処置なしの手亡
大量のヘドロが手亡相場の〝おり〟になる。
手亡はこれから売っても充分銭になる。
「堅田鮒雨のあがりて日に少な 涼舟」 

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熱烈なゲーム ぼつぼつ開始へ (2017.05.25)

昭和の風林史(昭和五十年五月十五日掲載分)
作付け面積と反収。
この掛け算で百万の数字を割る予想が出来れば
小豆相場はゲーム開始になる。
「蚕豆のみのいるにつけて葉のあれば 虚子」
東洋経済から出ている『穀物戦争』
(アメリカの〝食糧の傘〟の内幕)は、
ソ連の穀物買いつけの謎を解き、
つくられた食糧危機がいかなるものであったかが判る。
その中で「アメリカで農民になるには、
数字に強い頭がないとやっていけない。
いくら作付けをして、できた作物はどうやって売るか。
それは農民の自由だが、
この自由な選択権の意味がよくわかるためには、
頭の痛くなるような算術をするだけの
忍耐力がぜひ必要だ

―と書いてある。
また「シカゴのピット(立会場)では
巨万の富がいまもなお、
ひとかけらの情報をもとにして
一夜にして築かれ、また崩れてゆく
」。
一九七二年の商品相場に
やる気を起こしたアメリカ人の数は
五〇万をくだらないかったはずである。
みんな一攫千金を夢見た
」。
一種の穀物相場の内幕みたいな読み物だが、
われわれ業界外の人が読むと、
いかにも奇怪で、
世にも不思議な物語になるかもしれぬ。
相場する人の心理に洋の東西はない事を知る。
農民は数字に強くならなければならない。
この事は北海道の農業従事者にしても同じである。
昨年、手亡を作付けした農家と
大正金時を播いた農家とでは
収入が天と地ほど大きく違ったはずである。
今年は手亡の作付けが大幅に減るだろう。
そして、何を播くか。
投機作物の雄である小豆をどのくらい播くか。
いまと価値の農家は頭が痛くなるほど
いろいろ考えていると思う。
もうしばらくすると小豆の作付け動向が
産地からつたわってくる。
現在のところ最も少ない数字は
小豆の四万一千ヘクタールである。
少し極端すぎるかもしれない。
だいたい四万七千ヘクタール前後という見方が続いた。
昨年が六万一千ヘクタールだった。
二割減なら四万九千ヘクタール。
二割以下という事はないだろう―と。
仮りに四万九千ヘクタールで
反収二・五俵なら百二十二万五千俵収穫。
二俵なら九十八万俵。
四万五千ヘクタールで反収二・二俵なら九十九万俵。
いずれにしても百万俵大台割れということになりかねず。
先に行って相場の楽しみが大きくなる。
●編集部註
ここで出てくる農民は豪農。
日本ではなかなかイメージしにくいと思う。
【昭和五十年五月十四日小豆十月限
大阪一万六六三〇円・一五〇円安/
東京一万六六七〇円・一三〇円安】