昭和の風林史(昭和五七年四月二十日掲載分)
なぜか線という線皆悪い
天気がよくても買い方の心は晴れない。
電光影裏春風を斬るような下げが待っている。
小豆の自己玉は売り買い、
東京は接近、大阪も買い急減、
売り微増という流れの中にある。
前週末は声を弾ませた読者から
転作奨励金の増額が大幅になったから暴落必至
と電話があったが、
相場の三ツの敵の一ツ、むやみに喜ぶな―。
必らず当てがはずれます。
すでに相場は悪いのだから、
材料に一喜一憂するところでない―と。
某商社マン、中国から帰国して、
『ありますよ、モノは。それもうんとある』。
市場の強気は
中国に輸出余力がないようなことをいうが、
そうではないようだ。
三晶の積極ヘッジもうなずけるというもの。
先三本の取り組みが
高値取り組みであることが、
買い方の泣きどころである。
先三本のどの限月もみな買い玉、
引かされている。
五限、六限にしても
一月までの買い玉(四千円以下)は
千二、三百丁利が乗っているが、
そのような玉は、
回転して五千円台の玉に化けている。
売って頑張っている四千円以下の売り玉は、
じっと黙って辛抱の子。
当限は、これは助からないが、
五、六限は辛抱した木に花が咲くだろう。
線型は五限、六限が
四千円ラインを深く割ってきだしたら、
総軍崩れのなだれになる。
すでに線という線みな悪い。
にもかかわらず怖がって売らない。
六本木が怖い。桑名が怖い。
これは影におびえているのである。
時間待ちしたトレンドは
14日の安値を下回ると
先限で三千三百円まで無抵抗になってしまった。
これがもう少し時間待ちすると更に深くなる。
毎日心の晴れない買い方であるが
この流れ仕方ない。
●編集部註
買えない相場は強いし
売れない相場は弱い。
欲はあるが臆病風に吹かれて手が出せない―。
誰もが通る道であろう。
責めるつもりもないし、責めるべきではない。
ましてや、嗤うなどもってのほか。
相場で他を嗤う者は、
どこかで他から嗤われる咎めを受ける。
少し使い方が間違っているかも知れないが、
大相場を取る上で大切な姿勢は
「和光同塵」であると筆者は思えてならない。
この四字熟語は老子の一節
「其ノ光ヲ和(やわら)ゲ、其ノ塵ニ同ズ」
から来ている。
大切なのは塵芥と同化するほどの調和性。
光を消すでなく、隠すでなく、
和らげるという点が重要である。
商取マン時代、古参の老練な相場師から
「相場が日常化出来たら勝てる」
と言われた事がある
勝ち負けで一喜一憂せず、
空気の如く接するという事だろう。
これも和光同塵に通じるものがある。
昭和の風林史(昭和五七年四月十六日掲載分)
値頃観と仕手期待感だが
閑な場面が続いている。
やや売りあき気分。
値頃観と仕手期待で買うが駄目だろう。
相場には三ツの敵がある。
むやみに喜ぶな。悲しむな。怒るな―である。
苦しかった玉がほどけてくると、
はしゃぎたくなる。
それを相場様は意地悪く
また苦しめにかかる。
浮き浮きしたのも束の間で
青菜に塩となる。
もう一ツは、うまくいかないと、
なにかにつけて腹を立てだす。
成績が悪いのは自分のせいではない。
学校の先生の点の付け方が悪いのだ
という発想と同じ。
相場は人間修業の道。
逆境不運もあれば順風幸運、
あざなえる縄の如しである。
やることなすこと当たらない。
考えて考えて曲がりにいく。
このような時は誰でも心に焦りがくる。
焦ってはいけないと知りながら
加速度をつけている。
このような時は動かざること山の如し、
静かなること林の如しでなければいけない
と人はいうのである。
相場は追いかけるものでない。
待つものであると古人曰く。
弾もタンクも銃剣もみな失って
相場だけみていると、
実によく見える時がある。
孝行をしたい時に親はなく、
相場の見える時に弾がない。
野山を駈けずり相場を追いかけていた時は
見えなかった相場が、
なんと自分の横にきて坐っている。
そんなふうに思ったことはないだろうか。
小豆の当限納会は受け腰次第で強張る。
しかし不需要期、輸入増大期、
そして梅雨期を控えて受けてどうなる。
あと悪しだ。
相場の流れは下行きであるから
長い目で見ていくがよい。
本間宗久伝『正月頃より三、四月迄
天井値段にて保合の相場は
五、六月の内必ず下るべし』。
この相場下が深いと見る。
●編集部註
煎じ詰めれば、値幅は別として
上がるか下がるかの二択であり、
買うか売るかどちらかを選ぶしかないのに、
何故かくも相場で迷うのか。
全ては日柄の読み違いと、
欲望と、臆病から来ているのだ
と筆者は考える。
相場に限らず、
人の幸不幸はある日突然切り替わる事は稀であり、
大概はじわじわと忍び寄る。
〝むやみに喜ぶな。悲しむな。怒るな〟
という金言は、
臆病と上手に付き合う方法論なのかも知れない。
漱石の草枕にこのような記述がある
〝喜びの深きとき憂いいよいよ深く、
楽(たのし)みの大いなるほど苦しみも大きい。
これを切り放そうとすると身が持てぬ。
片づけようとすれば世が立たぬ〟。
昭和の風林史(昭和五七年四月十三日掲載分)
この悪さまだ判らぬかと
小豆は四千円割れに向かっている。
取り組みの細りが人気離散を物語る。
肺患症状だ。
輸入大豆に人気が集中して小豆の商いは薄い。
また市場では
生糸とゴムの買い方「T社」の先行きに対し
早晩行き詰まりがくることを
警戒した話題がもっぱら。
要するに金地金を見せ道具にして、
その地金を預り証、紙切れと交換し、
利息として前金で二割
(いまは一割になったといわれているが)
を先渡しする。
なんのことはない。
自分の払ったお金の一割を
戻してもらうのである。
契約期限が来た時に
果たして預り証を
金現物と交換してくれるだろうか。
新聞には毎日のように求人広告を出し、
社員千数百人。
見習期間日給一万円。
初任給30万円というから
経費も大変だし、
東京、大阪で使用しているビルも
相当な負担である。
それらを商品相場の
投機で賄うことは至難である。
昔、保全経済会というのがあった。
大々的な宣伝で大衆資金を集め、
これを株式投資で運用したが
償還の期限がくると
支払い不能、取り付け騒ぎで倒産した。
T社の行く末は
誰の目にも明らかであろう。
その時、生糸にしろゴムにしろ
建玉のウエイトが大きいだけに、
パニック状態が発生すると収拾つかない。
T社の玉を敬遠する取引員が多いことは、
これは取引員の良識であろう。
さて、小豆相場のほうは
崩れに入っている。
悪いことに地合が緩んでも
新規売り込まない。
売れば掴まるかもしれないと
用心している。
だから商いは細々としたもので、
商社のヘッジのウエイトが高まる。
●編集部註
ここで登場する「T社」が
果たして金のペーパー商法で
社会問題化した豊田商事の事を
指しているのかどうかは判らない。
調べてみるとこの会社が
設立したのが81年。
この時は「大阪豊田商事株式会社」
という名前であった。
大阪という文字が取れて
豊田商事になったのが翌年。
社会問題化し、
国民生活センターに
この企業関連のトラブル専門ダイヤルが
登場したのが85年。
その年の6月に創業者が刺殺される。
風林火山は大阪で原稿を書いている。
この地理的要因と、
取り扱っている商品が商品だけに
(もっとも詐欺なのだが)、
もしこの「T社」が豊田商事なら、
世間一般よりもかなり早い段階で
問題点を指摘していた事になる。
東京ゴム月足を眺めてみる。
81年は一貫して下げ基調。
それが翌年から上昇基調に転換。
同年10月から3カ月で元の木阿弥となり、
そこから8カ月で71%上昇していた。
「T社」は、
いつ迄相場をやっていたのだろう。