諸般の情勢手探り 期して待つものあり (2018.11.05)
昭和の風林史(昭和五七年十月八日掲載分)
輸大期近は警戒ラインへ
輸大は円安と煎れ高で
人気は非常に強くなっているから
盛りのよいところを売る。
小豆は二万八千五百円中心にジグザグして、
その間に行政の方向や一元集荷の成り行き、
あるいは自由化問題、次期枠など
諸般の情勢を手探りするわけだが、
小豆相場に対する人気が
盛り上がらなければ薄商いの中での
出回り最盛期だけに、
産地のちょっとした売り物で
相場は軟化してしまう。
いまの相場は、
買う人は買って引かされているから
黙って辛抱している。
売っていた人は、
まだそのままか利食いして、
利食い組は二万八千円割れを買おうか、
それとも二万九千円台の戻りを待って、
売り直すか待ちの姿勢。
気分としては、今年の二月以来、
小豆の強気好きは
苦しきことのみ多かりて心労続きだ。
大勢トレンドが大なだれだっただけに、
買うのが好きな人は激流に、
ただ押し流されてきた。
本年は六甲伝によると
三月甲で安回り下げに向かうとある。
そしてその相場が実現した。
取るだけ取ってきた人は、
魚の尻尾まで取りにいくことはない。
二万八千円割れが
あろうとなかろうと、
みておくのがよい。
輸入大豆は円安で押し上げている。
これで強気にさせられると、
あとがひどいと思う。
期近に対しては絶対の買いだ―
という強気ばかりになった。
人気がこんなに一致して
強くなった現象を警戒する。
ワンサイクル
買うだけ買ったあとの反落、
期して待つものあり。
円相場も反騰に転ずれば
あれよあれよとなろう。
生糸のほうは今月の渡し物が
二千俵ないし二千五百俵
という予想。
買い方が今月も受けてしまうと
当限は当然高納会だろうが、
来月も三千俵の渡し物予想だけに大変だ。
●編集部註
相場が細かくなると、
必然的に相場の見方も細かくなり、
当然記述も細かくなる。
玄人さん、マニアさんには
良いかも知れないが、
素人さん、ご新規さんには
きつい展開である。
休むも相場だが
素人はそんな格言を知らない。
成績と生活がかかっている先物営業マンは
せっつく。
ならば、と手がけて負けてしまい、
商品先物市場から退場する。
こんな流れだろうか。
自虐的な記述だが、事実、
ここでお客様を大事にした会社は
今も生き残り、
大事にしなかった会社は駆逐された。
マニアや玄人しか
相手にしなかった会社も
衰退していったように思う。
強弱はないけれど 強行突破は息切れしよう (2018.11.02)
昭和の風林史(昭和五七年十月七日掲載分)
小豆は買える段階でない
小豆はまだ底が入っていない。
輸大売り。生糸も売り。
相場は時間調整の待ちの姿。
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ヒットラーの法則 逆境時の一時的鎮痛剤 (2018.11.01)
昭和の風林史(昭和五七年十月六日掲載分)
悲しきは秋風ぞかし…
売るべし、買うべし休むべし。
休むも相場。
休んで人気の流れがどうなのかをみる。
かなしきは秋風ぞかし―
と啄木はうたった。
日の暮れも早くなる昨今、
追証取り、きょうはどこまで行ったやら。
相場の荒れたあとの
セールスマンこそ悲しけれ。
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昭和の風林史(昭和五七年十月五日掲載分)
相場とは悲しき玩具なり
店を出て五町ばかりは
用のある人の如くに歩いてみたれど。
悲しき玩具の追証取り。
相場に採算なしという。
小豆は農家手取りがどうだから
三万円が底だ―という意見があった。
三万円を割ると二万九千円は底だ―
となった。
その二万九千円が、
あっけらかんと割れると
下げ過ぎだ―となる。
付いた値が相場だ。
投げる時は
半値七掛け二割引という言葉もある。
そこまではいかなくとも
三割高下ということは
相場の世界につきもの。
今の小豆は七月仕手崩れに
勝ち残った勝ち組だけの戦いだった。
そして買いにまわった側が斬られた。
買い方の誤算は、
農家手取りとか採算にこだわったこと。
政策相場を期待しすぎたことである。
政策は信ずべし。
ただし信ずるべからずである。
政策などというものは、
常にあと追いである。
ところが相場は
先見性で先々と材料を食っていく。
そこのところにギャップが生ずる。
相場に値頃観無用
という言葉があるのはご承知。
二万九千円割れはないというのが、
そもそも値頃観である。
大衆の売り。自己玉の買い。
小豆に関して
自己玉は打たれてばかりだ。
ということは、
大衆即ち素人にあらず。
小豆のプロ中のプロである。
相場としては、
どこかで秋底が入るだろう。
それが、いつなのか。どこなのか。
秋はこれから。
玉整理の具合いや、
人気の変化(弱気増加)、
現物流通状況、
そして相場の日柄。
それらを見ながら確かな手応えを待つ。
石川啄木は
「人がみな同じ方向に向いて行く、
それを横より見ている心」と。
これは相場道をうたったものではないが、
相場とは、そのようなものかもしれない。
休むもまた相場ということあり。
●編集部註
明治以降の文豪達の
食にまつわるエピソードを綴った、
嵐山光三郎の「文人悪食」(新潮社)
を読むと、
石川啄木の私生活は
相当ロックでパンクなものであったようだ。
浪費と放蕩で借金まみれ。
ついた仕事も遅刻欠勤。
その挙句に夭折だ。
友人の金田一京助は
何度か痛い目にあったとか。
京助の息子である金田一春彦は
「石川啄木というのは
石川五右衛門の子孫ではないのか
と思っていた」と述懐していたと本にある。
百人中九十九人が買いの時に
売る一人だけが儲かるのが相場の世界。
存外、
相場師のセンスがあったのかも知れない。
ただ、
実際に相場と対峙していたら負けている。
当たりやは大半が
謹厳実直で研究熱心な人である。
昭和の風林史(昭和五七年十月四日掲載分)
輸大期近はもとの木阿弥
小豆は戻してもまた安い。
投げきるまで駄目だ。
輸大期近二本が極端に悪くなった。
小豆買い、生糸売り、輸大買い
という投機筋が
小豆崩れによる証拠金の絡みで
生糸売りから戦力を引き揚げ、
輸大買い戦線を後退した姿が
新甫の生糸高、輸大安である。
南方戦線拡大で関東軍を
満州から引き抜いた格好だ。
小豆の二万九千円割れのショックが、
いかにも大きい。
反面、
小豆買い・生糸買いポジションの
投機筋もある。
このような人たちは、
損切りして損の少ない銘柄からはずし、
帳尻に大赤を出さないようにする。
しかし結局は戦い利あらざれば
見切り千両。
引かされ腰強いほど
損出が大きくなるものだ。
小豆は二万八千円を
割っても、割らなくても、
いまとなっては投げるものは一応投げ、
利食うものは利を入れたから、
どうということもなかろう。
悪い悪いと国から便り。
売り材料は、あとから貨車できた。
線型としては
七月19日安値に対して両足つきだが、
もう一段安に売られて
二万八千円割れがあってもおかしくない。
取り組みの、引かれ引かれて、なん千里
という買い玉が本当に投げきるまでは
戻っても力なく、すぐに垂れ込むだろう。
夢も希望もないというのが
今の小豆の買い玉だ。
輸入大豆は東京、大阪、名古屋とも
先限は売り線。
もとの木阿弥というか、
九月八日の安値を切るかもしれない。
期近二本も11限の悪さは
戻り二番天井打ちで、
東京の足が極端に悪い。
当限も名古屋は
ストレートに四千七百円まで
崩れるトレンドに乗っている。
●編集部註
昔の事はよくわからないが、
風林火山は晩年、
いつも音楽を聴きながら原稿を書いていた。
事務所に入ると、
比較的小さなCDラジカセがあって、
今日はブラームス、
明日はバッハといった具合に
終日同じCDが繰り返し流されていた。
クラシックばかり流れていた気がする。
世界初のCDプレーヤ ーが
販売されて
まだ3日しか経っていないこの時、
事務所にCDはなかっただろう。
まだソフトも30タイトル程度しかなく、
オーディオマニアくらいしか
興味を示していない。
ただこの文章、行間からは
音楽が聞こえる。
シューベルトの悲愴か、
はたまた魔王のようなドイツリートか。
いや、
クラシックじゃないかも知れない。
鶴田浩二の傷だらけの人生か、
はたまた
さくらと一郎の昭和枯れすゝきか。
ウォークマンが世に出たのが
1979年。
今考えると、昔のソニーは
音楽を聴くツールに
革命をもたらしたのだと思う。