証券ビュー

森羅万象

目先自律戻し 戻り待って売る (2015.08.26)

昭和の風林史(昭和四八年八月二十日掲載分)  

かなりの値幅を戻すだろうと期待している。

戻ったら再び売り場だ。買い方も期待する。

「寺よぎる風のあはひのちにちろりん 宋淵」 

 

意外にこの小豆は戻すのではないか

という見方が支配しだした。

小豆の動きを前もって予測させるかのような

手亡の相場が早い目に下げ止まり、

すでに急反騰している。

買い玉の整理もほぼ終わったし、

市場人気は極めて弱くなった。

作柄もまだ決まったわけではなく、

早冷、早霜の可能性なしとはしない。

千円戻しが千五百円、二千円ともなれば、

戻りだとも言っておれない。

二十日の農林省発表をきっかけに、

かなりの反騰がありそうだ。

規制緩和もここまで水準を下げた以上は

買い方有利な材料と見るべきだ―。

ひとつは値ごろ観である。

売り飽き気分もある相場の習性から、

大下げのあとだけに

自律戻しがあってもおかしくないという人気になれば、

そこは相場、ある程度の反発があるかもしれない。

千円戻し。千円棒を立てる相場なら

出直りと判断する人もあるだろう。

買い方も辛抱してきた。

地合いが硬化すれば、

〝いけ!!〟ということになり元気も出てくる。

これに逆らうこともあるまい。

ある程度は反騰するだろう。

相場が急反発したからといって強気する必要はない。

戻り一杯するまで眺めておく。

小器用に戻りも取ろうなどと思わぬほうがよい。

もちろん相場巧者なら

縫うように下げも取り、戻りも取る手もあろうが。

相場のお臍は先限で一万五千五百円。

ビキニ型水着のパンツを

ヘアーの見える程度まで下げただけで、

ちょっとだけよという格好。

いずれは膝のあたりまで下がるのだ。

どんなに頑張って戻しても一万六千五百円まで。

一万五千五百円中心の下千円を

八月十四日に付けている。

お臍のあたりまで戻して、

それから上千円はちょっとしんどい。

あくまでも大天井した相場の

下げサイクルの中での戻しでしかない。

従って、もし仮りに急騰するとしても、

その場合は次にまた下げるがための反発であるから

狼狽することなく、

どこで売るかを注意深く見守っておけばよい。

期待に反して戻しきれなければストリップである。

一万三千円を割ってしまう。

●編集部注
筆致に内観が見え隠れ。

今回の文章の裏テーマは辛抱と堪え性だと、

筆者は勝手に思っている。

値動きに心揺らがず、

あそこで信念を貫いておけばという例は

枚挙に暇がない。

裏返せば、百戦錬磨の相場師の心さえも

揺らぐ場所が相場の節目となりやすいともいえる。

【昭和四八年八月十七日小豆一月限大阪一万四五七〇円・二二〇円安/東京一万四六〇〇円・二六〇円安】

売りあるのみ 豊作相場展開へ (2015.08.25)

昭和の風林史(昭和四八年八月十七日掲載分)

決定的に崩れるのはこれからである。
先限の一万三千円は割ってしまうだろう。
売り一貫。

「法師蝉煮炊というも二人きり 風生」

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徹底して売れ 地獄の底までも (2015.08.24)

昭和の風林史(昭和四八年八月十六日掲載分)

この相場は戻すだろう。
しかし戻ったところは必殺の売り場になる。
S安三、四発分が残っている。

「いざ急げ火も妙法をこしらえる 一茶」

買い方は投げ、売り方は利食う。
この相場は、まだこれからが安い。

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彼岸ごろまで 売られる相場だ (2015.08.21)

昭和の風林史(昭和四八年八月十四日掲載分)

僧侶はいそがしい。

S安の供養もしなければならない。

地獄の底まで崩れる相場だ。

「蜩や鳴きやむ方の石燈籠 宇白」

お盆にはいると、お寺さんもいそがしい。

ヘルメットをかぶって

オートバイで檀家をまわっている。

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どこまで戻す ぶった斬るのみ (2015.08.20)

昭和の風林史(昭和四八年八月十三日掲載分) 
黙って、どこまで戻しきるかを見ておくところで、
息切れしたら、すかさず横っ飛びに胴払いする。

「叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな 漱石」

緑樹陰(かげ)濃(こま)やかにして夏日長し、
水晶の簾動いて微風起る。
なんとも涼しさを感じさせる句である。
前記漱石の昼の蚊を吐く木魚かな―も、
俗界から離れ深閑とした山の中の寺の涼しさを思わせる。
強い声で油を揚げるように鳴く油蝉も今が盛り。
みんみん蝉はまたの名を深山蝉
シャワシャワとやかましいのが熊蝉。
蝉を聞き樹陰に書を読むのも
赫赫炎炎の猛暑から遠ざかる方法である。

洛北は寂光院、建礼門院、勝林院、三千院あり。
洛西に祇王寺、二尊院、大覚寺、天竜寺あり。
炎暑の中に涼を求む。

土曜日の小豆相場は案の定、陽線を立てた。

小豆の一万五千五百円この相場の中心点。
お臍である。お臍のところに
コンパスの足を当て半径二千五百円の円を書く。

上弦が一万八千円。下弦が一万三千円。
これが、どんなに行き過ぎても
五千円幅の一割の五百円は
一万八千五百円の一万二千五百円。

駈けてみても飛んでみても泣こうが笑おうが、
この円内での相場である。

コンパスの足をつめて五千五百円中心に
上千円、下千円。
小さな円は一万六千五百円の一万四千五百円。

湧くような人気が遠くに去っていった感じの相場。
夏休みの終わったあとの海水浴場みたいなもので
秋風が、とぎれとぎれに、きりぎりすの鳴く声を乗せてくる。

夏の終わりは一年中で一番女性がきたなく見える。
それは熱狂した相場が終わったあとを思わせる。
人々は見向きもしない。
彼女たちは秋にそなえて疲労を癒し、
魅力ある肌をつくるため懸命になるのだ。

無味な場味(あじ)の中で手亡をS高に放り上げていた。
『いてこませ』の典型たるものである。
やりゃ出来るんだ。なめると承知せんぞ
という表情がありありと見えた。

小学校の校庭や広場のある公園に
櫓(やぐら)がくまれて関西は盆祭りのシーズンに入る。
風の向きによっては夜遅くまで
マイクロホンから河内音頭が流れてくる。
聞きようによっては『いてこませーよっこらサ』と
踊っているみたいだ。
脇田の阿竹寿夫氏あたり、
美声を張り上げていることだろう。

●編集部註
 正調河内音頭の掛け声は、
正しくは「えんやこらせぇ~どっこいせー」である。

 今でも新聞読みの河内家菊水丸氏の存在が
有名だが記事のそれとは違う。

 映画「悪名」で勝新太郎がやる一節がそれだ。

【昭和四八年八月十一日小豆一月限大阪一万五八三〇円・三六〇円高/東京一万五九九〇円・四九〇円高】