証券ビュー

森羅万象

初の三日新ポ けったいな具合い (2015.09.09)

昭和の風林史(昭和四八年九月三日掲載分)

相場が建たなくても相場の強弱は書けるが、
なんとなく、ちぐはぐで強弱に気が乗らないものだ。

「花すすき鈴鹿馬子唄いまありや 素逝」

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日暮れ道遠し 戻りの倍落としへ (2015.09.08)

昭和の風林史(昭和四八年九月一日掲載分)

秋の日は、つるべ落としに暮れにけり。
戻した分だけ悪い相場。
戻り幅の倍落としとなるだろう。

「をりとりてはらりとおもきすすきかな 蛇笏」

千円幅を戻した限月と戻しきれない限月とがあって、

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葬送曲は〝足曳〟相場は戻り売り (2015.09.07)

昭和の風林史(昭和四八年八月三十一日掲載分)

大きく戻してくれたら
判りやすい売り場になる小豆である。
残暑の中の売り場待ちというところ。

「鐘のおとに胸ふたぎ 
色かへて涙ぐむ過し日のおもひでや 
げにわれはうらぶれて 
ここかしこさだめなく
とび散らふ落葉かな」

小豆市場は〝三軍散じ尽し旌旗倒る〟
という感じである。
哀怨徘徊愁いて語らず〟―。

荒草何ぞ茫茫たる。白楊もまた蕭蕭たり。
帰りなんいざ、田園まさに蕪(ぶ)せんとす、
なんぞ帰らざる。

時間をかけて
小豆相場は出発点に戻ろうとしている。

少なくとも四月十四日の一万八百円あたり。

四月中旬から始まったあの大相場は、
現物面の需給を、まったく横に置き忘れての
人気相場であった。

巨大な買い主力を中心にして
旗本八万騎が勢揃いしての威風堂々の行進であった。

その行進曲たるやインフレ・マーチ。

人々は、この大行進に酔ったものである。

いま気がつけば規制の強化を招き、
品物の売れ行きを止め、
そして高値で人気を強くして
因果玉を残した。

いま遠征軍は葬送曲の中を
粛粛と帰還する。
葬送曲は〝足曳〟である。

足曳の山辺とよもすつつの火の、
煙のうちにいちじくる、
きおえる旗はかしこきや―。
荘重で沈むようなラッパである。

続いて〝吹きなす笛〟が続く。
いんいん、めつめつたる陸軍礼式歌は、
吹きなす笛のその音も
捧ぐる旗のその色も、
ものの哀れを知り顔に、
きょうはものこそ悲しけれ
…。
吹きなす笛が終わると〝国の鎮め〟があとに続く。

戦士を弔うラッパは厳粛なものであった。
そして空砲があたりに響きわたるのだ。

相場は戻すところに来ているが
戻して24日の安値から千円。千五百円。

戻すことによって後がまた悪くなる。

戻りを、出戻りと勘違いする人もあろう。
もみあいが長びくと
中段の底を大底と見間違えるものだ。
そこのところを注意しなければならない。

筆者は、この原稿を書いたら、
すぐ新大阪に行って東京に行こうと思う。
うまく切符が買えれば夜の九時ごろに着く。
しばらく上京しなかったので
東京市場の様子を見てくるつもりだ。
東京の残暑もなかなか厳しいということだ。

●編集部注 
ンニャロメ!と、
この文章を読み当時の小豆買い方は
歯軋りしていよう。

文才のある人は、
どう書けば相手がむかつくか
凄腕の按摩並みにツボを心得ている。
その姿仕込み杖を抜く座頭市の如し。

【昭和四八年八月三十日小豆一月限大阪一万五〇〇〇円・三三〇円高/東京一万五〇〇〇円・二五〇円高】

栄華是非あり 秋気衰顔に動く (2015.09.04)

昭和の風林史(昭和四八年八月三十日掲載分)

小豆は戻したところを売ってやろうと手ぐすねひいている。
もとより戻したら売りの一手だ。

「ひぐらしや昔のままの二尊院 みつる」

梶山季之氏が雑誌〝問題小説〟の十月号に
清朝由来について書いている。

現在、この伝統的宮廷料理の出来るコックは

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静中暴落あり 陰の極未だ遠し (2015.09.03)

昭和の風林史(昭和四八年八月二九日掲載分)

下げ途上の中段のモミ。
反発反騰よしの地点。だがその力なし。
なれば日ならずして暴落せん。

「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 汀女」

なんということもない納会であった。
前日に納会した生糸八月限のような劇的暴騰場面を
期待していた人がいたかもしれない。

九月の産地は完熟期に入る。そして収穫の秋。
北海道は駆け足で秋から冬に向かっていく。

小豆の作況について、今年ほど、
なにもなかったことは珍しい。
一時的に干ばつが心配された程度である。

残るは収穫前の長雨。台風。立ち枯れ病。
早霜の心配だけである。

百七十万俵収穫の予想が
ほぼ、かたまってきた現在としては、
史上まれに見る豊富な在庫量が、
いかにも圧迫材料である。

荒れ狂っていた狂気のムード、
インフレ換物人気も、
小豆に関してはほぼ冷却した。

その残害として八千円台、九千円台の買い玉が
鳥もかよわぬようなところに、
ひっかかっている。

ここで相場は、あと千円幅の下げ余地を
残して足踏みしている。

一見したところ、下げ充分、値固め、売り警戒。
中段底。自律反騰―などが脳裏を走るが、
相場そのものを見ていると、
昨日書いたように草臥れすぎている。

無気力な相場と取り組んで、
夏の暑さで消耗した体力と気力を、
ふるいたたせようとしても、空虚な感じしか残らない。
相場する側の人も
相応に疲労している夏の終わりである。

中途半端に反騰すれば、その弾みで、
逆に屋根瓦が全部ずり落ちてしまうかもしれない。

一万一千円どころ。あと三千五、七百円崩した。

即ち高値から八千下げである。
四月14日に付けた安値地点が再現しない
―とは誰が保証出来ようか。

その下げのきっかけは、
なにによるかと申せば買い方の総退陣である。
ナポレオンも、ヒトラーも冬将軍には勝てなかった。

歳落ちて衆芸やみ、
時は大火(星の名・アンタレス)の流るるに当る。
霜威塞を出でて早く雲色江を渡りて秋なり。
夢はめぐる返城の月。
心は飛ぶ胡国の楼。
帰りを思えば汾水の如く日として悠悠たらざるなし。
雁帰り、相場故郷に戻らんとす。

●編集部註
 当時の罫線を見ると、
相場は一万四千円でコツンと底打ちの音を聴き、
恐らく買い方は信念の買い攻勢をかけたと思う。

 ただ以前から当欄で指摘した〝相場の塔婆〟は
まだ出現せず。
実際、売り相場はまだまだ続く。

【昭和四八年八月二八日小豆一月限大阪一万四八三〇円・三〇〇円高/東京一万四八二〇円・二八〇円高】