昭和の風林史(昭和五七年十一月十八日掲載分)
強気急増で輸大は頭打ち
小豆は下げてよし、戻してよし
という場所にきている。
輸大は強気増加して反落。
ここからの小豆相場
どのように考えたらよいか。
この場合、政策面を重点におくのか、
純相場波動即ち相場は相場である
という考え方に比重をおくかで、
強弱が大きく開く。
前者の場合は
農家手取り三万円という目標値段に
コンパスの中心をとる。
しかし、これはあくまで
そうあってほしいという事で、
現実の世界とはかなり離れている。
純相場論からいえば
今の取組量(ボリウム)、下げ日柄、
下げ幅、そして在庫量と人気。
それらをあてはめると、
トレンド上の二万六千八百円が
あってもおかしくない。
また昨日も書いたように、
市場人気は売り安心になると
相場というもの流れを変えてしまう。
お正月を控えての年末需要が
どれほど伸びるか。
輸入小豆の供給が先細りになって、
北海小豆との役者の交代が
どんな格好で行なわれるのか。
いまは
絶対的に買いだとは断定できぬし、
絶対的に売りだともいえぬ場所に
相場がきていると思う。
また安かったら買うのか、
戻ったら売るのかも見極めがたい。
いえる事は下げてよし、
戻してもよしである。
輸入大豆は
当限はバクチになっている。
船が間に合わなければ
大阪五千四百円。
物が入れば四千百円というところ。
一般大衆は高見の見物。
為替市場の円高に勢いがついてきた。
円強気は㌦二四〇台と予測している。
これも下げるだけ下げたから
上昇トレンドに
乗ってもよいところ。
シカゴ大豆は堅調だが、
いまの輸大相場は
シカゴと関係ない人気。
全般に大豆は玄人も素人も
本気で強気になったから
相場の流れが変化して当然。
●編集部註
「ボリューム」を「ボリウム」と
書くところが、
何となく〝昔の男〟を思わせる。
是非の問題ではない。
〝味〟の問題である。
風林火山は、
内田百閒が大好きだった。
彼の著述の中では、
「ボーイ」は「ボイ」、
「バター」は「バタ」、
珈琲は「コーヒー」ではなく
「カヒ」と表記した。
何れも向こうの発音に近い。
岡山の素封家の出身で、
東京帝大でドイツ文学を学び、
陸軍士官学校や法政大学で
ドイツ語を教え、
夏目漱石の弟子として
漱石の著作の校正を担当。
日本を代表する随筆の名手―
と経歴だけを書くと輝かしいが、
その実、相当な変人で借金魔。
更に未曽有の食通にして
重度の鉄ヲタでもあった。
はしゃぎ過ぎ 相場様は裏向きを行く (2018.12.14)
昭和の風林史(昭和五七年十一月十七日掲載分)
輸大買い方はしゃぎ過ぎ
相場は人気の裏を行くとはよくいった。
はしゃぎ過ぎたら相場様は、
向きを変える。
輸入大豆当限が中国大豆入荷の
はしゃぎ過ぎの裏が出て船積み遅れ、
カラ売り玉の煎れ上げ、
新規思惑買いなどから棒立ちしたが、
全般の商いはなぜか低調だ。
月初めT社筋の大量買い玉が
輸大市場に入って大衆筋も
これに提灯をつけた。
そのあと円高や中豆入荷を
騒いで反落したが
当限のカラ売り玉が締めあげられ、
相場というもの、
はしゃぎ過ぎたらアカン
ということを教えた。
これは小豆相場にもいえた。
三万一千円だ、三万一千五百円だ―
とホクレンの価格政策や
農水省の今期輸入枠操作を期待して
強気は上ばかり見ていて
足もとをすくわれた格好。
その小豆だが、今度は売り方が、
はしゃぎ過ぎて安値を叩くと
意外な反発がこよう。
見ていると値段は
二万八千円割れに抵抗しだした。
去年も11月19日に大底を入れている。
人気が急速に
弱くなりだしたのが気になる。
戻りは安心売りの空気がいけない。
これは輸入大豆についてもいえるだろう。
あれだけ弱かった輸大人気が、
ここにきて、
それはもう強気ばかりだ。
船積み遅れ、入船遅れ、玉不足、
納会10月の二の舞い。
渡し物ほとんどない、
中豆の品質見直しなど、
それはもう強気一色になった。
そうなると
相場は皮肉にできているから
買うだけ買わせ、
煎れるだけ煎れさせ、
買ったらしまい。
煎れたらしまいとなるわけだ。
得意の時は謙虚たれ。
失意の時は泰然たれ。
これがなかなかできない。
当たっている時は傲慢(ごうまん)。
曲がった時は悄然。
小豆は戻しても、
出直りには直結しない。
輸大は、
かなりきつい下げかたをするだろう。
舞台は回り持ち。
●編集部註
この日も風林火山の
商品先物ブルースが流れる。
そういえばこの頃、
上田正樹の「悲しい色やね」が
ヒットしている。
発売当初は売れなかったが、
有線放送で火が付き、
この頃には人口に膾炙している。
それは、デビューから10年目であった。
東京に居て、恵まれている点は
幾数多あるが、渋谷や池袋など、
都内に幾つも昔の映画を
上映している映画館が
存在している点は
映画好きにはありがたい。
旧作を、新作のように観る事が出来る。
少し前、渡瀬恒彦の追悼特集で、
「仁義なき戦い広島死闘篇」の
同時上映であった73年の
彼の主演作を観に行ったが、
ある場面に歌手役で
上田正樹が登場する。
歌声で「あ、上田正樹だ」と判った。
罫線の横幅(日柄) 各人の気持ち次第 (2018.12.13)
昭和の風林史(昭和五七年十一月十六日掲載分)
小豆相場の下値を考える
◇…小豆は二万六千八百円が
あるかもしれないが、ないかもしれない。
輸大当限は急所。
◇…小豆相場は
このあたりで様子を見よう
という動きになりそう。
二万八千円を割っていくトレンドは
残っているが、
生産者団体、
あるいは農水省の価格対策が、
相場水準低ければ低いほど
敏感に響くから御用心。
◇…今年の小豆の
大きなトレンドは
(大阪先限)次のようになっている。
二月10日大天井三万六千八十円→
一段下げ五千丁。
これが五月6日下げ止め。
第二波動は六月3日の
三万三千五百三十円からの
五千三百七十円下げ。
これが七月19日下げ止め。
第三波動が
八月11日の三万一千八百円からの下げ。
五千丁ひと波動とみるなら
二万六千八百円あたり。
◇…だいたい五千丁、五千丁と
下げてきている。
そして罫線の横幅(いわゆる日柄)は、
筆者のグラフの節足新値三段で
左右十二、三㌢が
一区切りになってきた。
◇…それからみると、
日柄(左右の幅の目盛り)は
ぼつぼついいところ。
ただ縦(タテ・値幅)が
五千丁ひと波動とすれば、
あと千六百丁ばかり下げ足りない。
◇…問題は腹八分でなく腹六分、
あるいは腹半分で
うまいところだけ食う
という相場哲学を持つのか、
いや根本一杯までという考えなのか、
人それぞれ考えは違うから、
ここから先は
各人の気持ち次第であろう。
◇…今のところ
二万六千八百円がないとも言えず、
あるとも言えない。
目先的には、
ゆさぶるところだろう。
へたに戻せば、
あと千五百丁取りの
売り新規もスリルある方法。
投げらしい投げが出るのは
その時か。
◇…輸入大豆は
当限の売りが踏まされていた。
しかしこれも、いまや時間の問題。
かなり息の長い相場だったが、
末期にきているから崩れたら怖い。
●編集部註
「もう」は「まだ」なり、
「まだ」は「もう」なり
―という相場格言があるが、
市場全体に
「もう」という空気が
出て来ている事を受けての
この記述なのかもしれない。
実際、小豆相場は「まだ」だった。
日本の輸入大豆相場も
「まだ」であった。
ただこれは生産地相場ではなく、
消費地相場であったが故の悲劇
と見る事が出来る。
実は、シカゴ大豆相場の底打ちは
この年の10月に完了している。
日足を見ると11月には一段上げて
上昇基調に入っている。
しかしこの時、ドル/円相場は
強烈な円高になっていた。
10月末に1㌦=277であった相場は
翌年1月に227円に。
これが相場に直撃する。
無理したあとのトガメ デマが飛びやすい (2018.12.12)
昭和の風林史(昭和五七年十一月十五日掲載分)
輸大当限暴落時間の問題
輸大当限・大阪、名古屋は
月曜後場か火曜16日から
逆落としの大暴落に転ずるだろう。
輸入大豆当限の手品の種も、
うしろから見ておると、
ここまでは上出来だったといえる。
しかしこれだって
小豆の気崩れの怪同様に、
その正体が解明できれば、
なんだ、そんなことだったのか
となるわけだ。
恐らく輸入大豆当限の突っ張り高は
今週月曜か火曜までだろう。
中国大豆の船が少々遅れても
繋いで十分の値段にあるから、
納会まで日数を見ながら
渡しの準備作業のピッチをあげる。
大阪当限にはIOMの渡し物が、
かなりありそうだといわれる。
来月に入れば物はジャブジャブだ。
実需は、ここしばらく、
最低ギリギリの当用買いで
凌(しの)げばよいのだから、
あとは定期のカラ売り玉の煎れだけ。
大連は猛吹雪などと
みてきたようにいうが、
なんのなんのその時、
風力3・快晴・気温14度だった。
相場の世界は
このようなデマが飛びやすい。
玄人は〝船舶日報〟をチェックし、
現地とのテレックス交信で、
中豆入船は、
心配する状況でないという。
とにかくまだ先月納会受けた現物に
金・倉の時計の針が動いている。
物はないのではない。
十分にあるのだ。
まして九月、十月と続いたあと
今月も玉締めスクイズを
しようものなら、
穀取市場に対する風当たりは
一層厳しくなる。
いうなれば今の大豆当限は
世の中の自然に逆らっているわけで、
このようなことは、
一時的現象で長続きするわけがない。
無理したあとのトガメの大きさは
七月六本木小豆、十月栗田生糸で
見てきた。
輸大当限も同じことがいえると思う。
小豆相場は、
相場は相場であることを
見せてくれた。
相場は人為の及ばざるものである。
●編集部註
小豆市場に依然として
嘆きのブルースが流れているなか、
世間はこの日、
高らかなファンファーレが
一部で流れていた。
1982年11月15日は
大宮~新潟間で上越新幹線が開業している。
上野駅まで伸びるのは1985年。
まだこの時は
国鉄であってJRではない。
東京駅に乗り入れる事が出来たのは
1987年4月に国鉄がJRになって
4年と2カ月後の
1991年6月である。
それから25年後、
この路線を使って
現美新幹線という観光列車が
走って好評を博すとは、
当時夢にも思わなかっただろう。