昭和の風林史(昭和四九年二月九日掲載分)
相場の基調は変わった。
男子三日見ざれば忽然たり。
圧倒的に弱気が多いが、相場颯爽たり。
「三宝にとびつく雪や一の午 甲子」
春眠を破り朝の早い新幹線で名古屋に出て、
夕方から東京をまわる予定だったが、
よく眠ってしまい気のついた時にヒカリ号は、
名古屋を過ぎていた。
新幹線が岡山まで延長になって
東京からの帰り、
新大阪駅をつい乗り過ごし、
あわてる事もある。
筆者が名古屋へ行くと必ず相場は高い。
過去五、六年間で、
このジンクスが破られたのは一度しかない。
今度も降りる予定が寝過ごし
名古屋を素通りしただけで
小豆相場は急反騰した。
米常の安田甫氏は三年ぶりで
小豆の買い店になった。
静岡筋の買い玉が、
同店に入っているホクレンの売り玉を消して、
異常に目立つ。
名古屋の業界では、
静岡筋のぶん投げは時間の問題と見ていた。
安田氏は、二月四日、
中段の底がはいったという。
安田祥雲斉も、石を抱いて野に伏して
随分長い期間を忍んできた。
このあたりでひと声あってもよい時分である。
桑名筋がものの見事に投げた。
彼の真髄とする美技である。
これが普通の人には出来ない。
大垣の相場師・大石吉六翁が
将来性ある大器と彼を見抜いたのも、
煎れ投げの常人にあらざる鮮やかさに
惚れこんだからである。
市場は、灰汁(あく)抜け―
と好感した。
中原に鹿を追えども
戦い時に利あらず。
三軍ことごとく散じ尽す。
巧名、誰かまた論ぜん。
相場は、ここに来て新しい波動に入った。
弱気筋は先元の一万二千五百円を言う。
二月四日と七日の安値を
思い切り叩き売った。
相場は音がした。
すでに七月天災期限月は
シャンと背骨をのばしている。
国破れて山河あり、
城春にして草木深し―。
相場は勢いである。
転転紛紛戦い乱れて乱れるべからず。
二月四日立春大吉大底入れ。
二月七日月齢満月の夜に駄目を入れた。
人々はまだ疑心暗鬼である。
一本調子にはいかず、
押したり突いたりもしようが、
基調は転換している。
大勢買いの基調である。
そしてその裏付け材料は
あとから追いかけてくる。
まさしく忽然たり。
●編集部注
負け上手が勝者となりやすい。
何事も、命あっての物種である。
この年のこの頃、
『収容所群島』で知られるソ連のノーベル賞作家、
ソルジェニーツィンが迫害の末に国を追われる。
【昭和四九年二月八日小豆七月限大阪一万五一〇〇円・九〇円高/東京一万四九六〇円・二八〇円高】
昭和の風林史(昭和四九年二月八日掲載分)
どっこい生きていたという事。
人気弱くなったころ、
秘かに忍びの衆は闇を抜け四方に散るのだ。
「手を洗ひをへて思ひぬ春めくと 黄枝」
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昭和の風林史(昭和四九年二月七日掲載分)
賢明なる読者は、
ぼつぼつ相場の転換が近いという現象を
随所に感じていることであろう。
「白日の閑けさ覗く余寒かな 水巴」
相場の強弱が、どうしても書けない時がある。
一寸先も判らない時である。
判らぬ時は休め―という。
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昭和の風林史(昭和四九年二月六日掲載分)
哀猿啼くこと一声、
客涙林叢にほとばしる。
呻吟、また呻吟。
相場とはこういうものである。
「如月や人の華燭の銀の匙 千枝子」
相場だけは〝もうまいった〟
と言っても堪忍してくれない。
だから相場は非情とか相場の世界は厳しい―
と言われる。
筆者は長年相場記者をしている。
だから相場する人の気持ちが手に取るように判る。
特に〝打たれて〟いる人の気持ちは
人ごとでないほど身につまされる。
呻吟(しんぎん)。うめきである。
後場三節が済むと、ほっとする。
これで明朝九時まで相場が建たない。
ちょうど、借金取りに追いまわされて
事務所に帰ってくる事が出来ない。
事務所にも借金取りが居据わっている。
行くあてもない。
ようやく夕方になって外灯がポッとつく。
外灯がついたのを見て、ホッとする。
今日も終わった。
借金取りも帰りよっただろう―と。
あの気持ちに似ている。
引かされた玉を未練残さずに投げる。
投げるのはいとも簡単である。
『あかん、全部仕舞っといて』と言えばよい。
しかし、投げたあとの
損出をどうするかが重大問題である。
まして連戦連敗のあとなどは。
西田三郎商店の西田三郎氏が、
真夜中に、子供や家内の寝顔を眺めながら、
あすの相場の事や引かされ玉を
若い時分はよく考えたものです―と、
お酒を飲んでいる時におっしゃっていた。
この人にして、そういう事もあった。
もう死んでしまった津田岩松氏から
中井幸太郎さんが相場で打たれて、
どうにもならぬ苦しみの時の話を聞いた事がある。
西田さんも中井さんも、
あんなにお酒が好きになったのは、
きっと相場をしている時に気が持てなくて、
一升瓶を友にしたからであろう―などと勝手に思う。
そういえば大相場師の西山九二三氏なども
アルコール中毒みたいになったのは
相場の苦しみのためだったのではないか。
お酒を飲めぬ人は、こんな時にどうするか。
岡本安治郎氏はお酒が駄目な人だった。
それで聞いてみた事がある。南京豆をかじる。
仏間に入って襖という襖や壁にケイ線を張り、
パチパチとソロバンを弾く。
三割高だ、とか半値地点は―などと。
丑満時に南京豆をかじり
ケイ線と対峙する姿を思うと鬼気迫るものがある。
●編集部注
この頃、テレビでは
「アルプスの少女ハイジ」が放送されている。
大きなブランコに乗るオープニングが有名だが、
差し詰めこの時の小豆相場は
そのブランコの極みの部分であったといえる。
【昭和四九年二月五日小豆七月限大阪一万四九〇〇円・四四〇円高/東京一万四六〇〇円・二一〇円高】
昭和の風林史(昭和四九年二月五日掲載分)
断末魔の投げ。軟派の追撃売り。陰の極に接近するほど相場は悪く見えるものである。
「事すべて短信に足り梅二月 若沙」
神戸ゴム取引所の小西圭介氏と、かなり以前、炭酸曹達割りのウィスキーを飲みながら、銀製品で折りたたむと五センチぐらいになる、ちょうど短い鉛筆ぐらいの曹達を抜く小道具の話に興が乗った。この道具は蝙蝠傘の骨みたいな仕組みで、ハイボールのグラスの中で伸縮させると細い銀細工がキラキラと広がったりちぢんで、細かい気泡があがってくる。こんなものを使用せずとも割り箸で掻きまぜれば用をなすのだが酒飲みのちょっとした楽しみだろう。
昔、英国の紳士はチョッキのポケットに忍ばせていたという。
前々から欲しいと思っていた。その後、小西さんはトアロードの某店に、それらしきものがあるから見に行こうという事になった。
その時の事である。ゴム産業、ゴムの生産と流通、ゴムの相場、マレーシアの取引所の話に花が咲いて、ちょうど三月三日から視察団がシンガポール、マレーシア、ジャカルタ、ペナン、バンコックとおよそ十日間回ってくるから同行したらどうですかとすすめられた。
すでにもう準備が進んでいて、今から間に合うかどうかという事だが、駒井理事長も、いつまでも売った、買ったの記事でもあるまい、じっくり勉強する機会だと、おっしゃる。小生もその事は痛感していたし、諸般の情勢等考えれば行き詰まりを自分に感じている。気分転換にもなり、本気で勉強出来れば―と思った。
だが、なんとなく物憂い。行かなければならないが、あまり行きたくもない。すでに皆さんパスポートも入手し注射も終わっている。小生は間に合わないかもしれないという淡い期待と、ギリギリ間に合って、あわてるのも性に合わない。
小西さんからはゴムの参考資料や産地の現状がつぎつぎ送られてくる。
スケジュールに追われて旅行するのが大の苦手である。またたべものが気まま出来ないのと、身の回りのことを自分でするのが億劫である。困った事になったと気が重い。
さて、小豆相場は、なんぼでも下げよる。
一万四千三百円は七千円時代に売り方の目標であった。今その値に来ているが止まる様子がない。これもまた気の重い話である。
●編集部注
舶来品は銀座よりも横浜よりも神戸という時代があった。今もトアロードにその名残がある。
鳩メジャーで採寸するシャツを作るような店は、もう神戸くらいしか残っていないのではないか。
【昭和四九年二月四日小豆七月限大阪一万一四六〇円・四七〇円安/東京一万四三九〇円・二七〇円安】