昭和の風林史(昭和四九年三月二五日掲載分)
しばらくは大きな下げもなし、
さりとて急騰もなし。
なんとなく締まらない場面であろう。
「桑ほどく日和のあとの蔵王雪 綾園」
証拠金問題がスッキリしないことから、
相場のほうも今ひとつ釈然としない。
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昭和の風林史(昭和四九年三月二三日掲載分)
まだまだ判然とした動きが掴めない小豆相場であるが、
ぼんやりと強気するしかない。
「牡丹の芽当麻の塔の陰とありぬ 秋桜子」
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昭和の風林史(昭和四九年三月二二日掲載分)
彼岸底型のダメ押し完了と見る。
相場の大勢は、やはり天災期を先に控えていて
買いしかない。
「彼岸寺障子しまりて法話かな 三千春」
なかなか暖かくならない。
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昭和の風林史(昭和四九年三月二十日掲載分)
商品界の環境がよくないため
小豆相場も元気が出ないが、
相場そのものは思うほど悪くはない。
「春の野や何に人行き人帰る 虚子」
商品業界全般が、
より所を失っているように思える。
日本経済が新しい苦難期に向かおうとする時、
やはり先物市場も、とまどうのである。
しばらく相場から離れていたため、
勘を取り戻すのに手間がかかる。
線型など見ての直観というか印象では、
大きく下げる相場ではないと思った。
彼岸底の格好とでもいうべきか。
それにしても、安い高いの値動きに
各節、各節一喜一憂することの、
なんとつまらない事かを感じるのである。
下がるには、下がる理由があって下がる。
いま、軟弱に推移しているのは、
時期的に仮需要、
即ち投機人気が盛り上がれない
という環境によるもので、
一万七千円が高いとか、
一万六千円が割高だ―
という理由で下げているのではないと思う。
相場というものは、
そうそういつも手に汗握るような場面
ばかりではない。
ぼんやりと、
ぬるま湯につかっているみたいな時もあれば、
春雨の音を聞きながら―という時もある。
Uの字を逆さにした格好で
二月四日に底した相場がいま垂れているわけだが、
これとて下値に限界があって、
届けば自然に今度は何の材料がなくても上昇する。
その間の、間(ま)が持てるかどうか
ではなかろうか。
それほど悪い相場でもないのに、
間(ま)がとれず売ってみたりするものだ。
下げきって、とどいたと思えば
静かにナンピン買いを入れる。
小豆相場が、
他の商品相場と少し事情が違うのは、
異常気象下における天候相場を控えている事だ。
筆者がバンコックで聞いた話では、
この地も異常気象で、
何十年ぶりかの降霜があって、
二、三十人の人が凍死したという。
バンコックは、もうすぐ各学校とも夏休みにはいる。
一年中で一番暑いのが四月の十三日だそうで、
この日は日本のお正月みたいにお祝いをする。
案内の日本語の上手な若い女性ガイドは
今年の天候はいつもと違っているため
ブーゲンビリアの花が咲くのも遅れているようだと教えてくれた。
●編集部注
一見、達観している文章のようでそうではない。
「無常」と表現すべきか。
相場は〝運・鈍・根〟とは、
つくづく名言だと思う。
流れを読み切ってみても、
この3つがなく負けた例は枚挙に暇がない。
【昭和四九年三月十九日小豆八月限大阪一万六一〇〇円・五〇円高/東京一万五九八〇円・三〇円高】
ふーりん東南アジアを飛ぶ(鏑木発信) (2016.03.29)
昭和の風林史(昭和四九年三月二十二日掲載分)
●帰国して
帰国してみると、
向こうでせっせと書いて送った原稿が
掲載されつつある。
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