昭和の風林史(昭和四九年五月十七日掲載分)
今の小豆は好買い場を露呈している。
腰を据えて天候相場に取り組むには
申し分のないところだ。
「瓜苗に竹立ありぬ草の中 虚子」
売り込み不足などと言われていた。
しかし、売り込まそうと作為的に工作しても
そう簡単にひっかかるものではない。
ところが相場が安くなると
自然に売り込みがふえてくる。
買い玉は追証で求められ整理が進む。
信念の強気筋も迷いを生ずる。
相場の世界でいう信念とは頼りないもので、
読んで字の如く〝人の言うことに左右される今の心〟。
誰それが買ったから、投げたから―
と相場を見ずに他人の動向ばかり気にする。
相場は相場に聞け。
今の相場が五、七百円反発した時の気分は、
どのように変化するだろうか。
ここから三百円安くなった時の市場人気。
その反対に
五、七百円高くなった場合の市場人気。
四月2日底から上昇した相場が、
誰も彼も強くなって、高値で上げ悶えた。
そして下げてきた。
下げてくるなり強気が影を潜めた。
今の気分は、まさしく発芽順調、
成育良好の青田ほめ気分である。
相場の大勢から言えば、
いまここで人気を極端に弱くしておくことは、
非常に楽しみ多いことである。
そして、この反騰が、
誰にでも判るような出直りでなく、
気の乗らない、戻りのような様子で戻していけば、
弱くなった市場だけに人々は売ってくるだろう。
下げて売り、戻して売り、横に這って売る。
しかも相場に元気がなければ
都合よく弱い材料が出る。
売り込みとは、
そのようにして出来るものだ。
目下のところ産地に関する材料。
即ち作付け面積、播種の時期。
この二つに関心が持たれている。
来週当たりそれらが判然としてこよう。
内部要因としては取り組みの変化。
人気の動向。
仕手筋に関しては、いまここで
さほど神経をとがらす必要はなかろう。
いずれにしろ下げ充分という地点に来ている。
あとは日柄の目を読むつもりで
腰を据えて天候相場に取り組めばよい。
天候相場は、照った曇った。
低温高温。降った降らない。
その日その時、風の吹きようで相場は高下する。
筆者は好買い場出現中の相場と判断。
強気方針である。
●編集部註
今回の文章は恐らく
自分に言い聞かせている。
当時の罫線を横目に過去の経験を思い返すと、
私見ながら値位置的には最も相場心理が揺らぎ、
慄く場面であると見る。
【昭和四九年五月十六日小豆十月限大阪一万七〇三〇円・一七〇円高/東京一万六九一〇円・一七〇円高】
昭和の風林史(昭和四九年五月十六日掲載分)
小豆は、あれほど強かった人気が、
まったく弱気に片寄ってしまった。
二万円相場はこれからだ。
「鉄線のふかるる花のうらおもて 青朗」
ここから下には行きにくい小豆だ。
市場人気のほうは、まさしく〝青田ほめ〟で、
二万円を言う人はいなくなった。
完全に弱気支配の市場である。
しかし相場はもう下げない。
生糸、乾繭、ゴムなどを
強気していた有力な職業投機家・桑名筋が
各市場でそれらを手仕舞っていた。
彼は小豆も強気しているが、
このほうは投げていない。
戦線を小豆一本に絞ってくるのではないかと
市場で噂されている。
古い諺に「よく泳ぐものは、よくおぼれる」
というのがある。河童の川流れだ。
日本陸軍は二方面、三方面作戦を
最も下策な戦略としていたが、
終局は八方破れで
支離滅裂な戦略になってしまった。
桑名筋にしろ静岡筋にしろ、
見ていると随所に焦りがある。
昨年前半までの、
いうならインフレの申し子のような、
インフレという御威光に乗った、
半ば僥倖(ぎょうこう)の勝ち軍(いくさ)とは
相場の性格が変わっているのだが、
過去の実績からくる過信があるため、
無理が生じ、焦りが生じる。
あれは僥倖に過ぎなかったのだ―
と原点に戻って、
過去の栄光を全部ぬぐい去らねば、
相場の本当の怖さ、相場の大きさを
知らずに無理を重ね、あたら兵馬を死地に投ずる。
〔馬上を以て之を得るも
いずくんぞ馬上を以て之を治むべけんや〕
という言葉がある。
〔兵、驕る者は亡ぶ〕。
われわれは、流れが変わっていることを知る。
桑名筋が投げた商品は、
〝あく抜け〟と見られ歓迎の花火を上げた。
相場界は、時の権力者、実力者の
ポケットの中の弾の数をよく知っている。
弱しと見れば野盗の如く群り
強しと見れば媚び迎合する。
だが〝兵法は労に乗ず〟である。
疲労したところを衝く。
相場市場が戦いならば、またそれも止むを得ない。
荀子(じゅんし)は喝破した。
〔人の性は本来悪なり、その善なるは偽なり〕と。
さて、小豆は二万円相場の前々夜が終わり、
いよいよこれからが前夜祭である。
かなり人気を弱くしたあとだけに面白くなる。
●編集部註
迷いなき一点突破戦略。
間違ったら損切りするだけなので、
リスキーに見えて存外安全である。
問題はどこで〝シマッタ〟と判断するか。
当った場合にどこで退出するかである。
【昭和四九年五月一五日小豆十月限大阪一万六八六〇円・一〇円高/東京一万六七四〇円・二〇円安】
昭和の風林史(昭和四九年五月十五日掲載分)
まだ売り込み不足の中途半端な人気と値の居所。
じっくりと安いところを、押したところを拾う。
相場は整理不充分。汚物がノドにつかえているようで、
気分がすぐれない―という表情だ。
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昭和の風林史(昭和四九年五月十四日掲載分)
安心して見ておれる相場だ。
買い場待ち。買い場探し。
待っていた下げ。次は反撃である。
「額咲くや渓とて岩の苔ごろも 迷堂」
近い限月から重い。
下げる時期が少しずれ込んでいるため、
灰汁(あく)抜けも、それだけ遅れよう。
四連休のところで、日柄がずれ込んだのである。
それで、どのあたりで買い場をつくるか。
下げを急げば反撃も急だ。
ゆっくり下げると、時間を食う。
九月限基準で一万六千五百円。
常識的な予測である。
八月限の六千円割れという見方も出来る。
そのあたりが買い場になる。
ここで下げる事によってこの相場は判りやすくなるはずだ。
期近限月が足を引っ張っているに過ぎない。
産地の気温が店頭に記入されるようになった。
これからは駆け足である。
現物の重さを期近限月が現わし、
作柄懸念を八、九月限が象徴する。
崩れてくれば、次に考える事は、
どこが買い場になるかである。
この相場は、買いを狙うしかない。
九月限の六千七百円あたりを
買わせてくれるようなら五百円も買う
という段取りでズンズン買い下がる。
人気が片寄り過ぎて強かった。
これを冷やす。売り込みが不足だった。
世の中うまく出来ていて、
嫌でも売り込むようになる。
期近限月の整理も進む。
身辺を綺麗にしておいてから
天候相場に臨もうというところである。
目数から日足の本数を読めば
五月22日あたりが目先の転機になるように思う。
例年、活気ある動きに転じるのは
六月五日の名古屋は熱田神宮祭からで、
名穀が後場休会でお祝いしているあたりから
相場は跳ねることになっている。
半値押しなら九月限の一万六千五百円。
三分の一なら六千九百円どころ。
普段の月と違い天候相場に向かう時期だけに、
この下げは安心して見ておれる。
崩れ落ちるとか、崩れ去る
というような現象は、あり得ない。
需給に勝る材料なしという言葉があるが、
小豆相場の六、七、八の三カ月は
需給より天候である。
買い場待ち。買い場探し。
なあに、強烈な反騰の見えている相場だ。
迷うことはなにもない。
●編集部注
冷静な筆致。
だが市場はもっと慌てている筈だ。
ここから暫く、
上下にある程度のヒゲを蓄えた、
小さなローソク足が陰陽を問わずに出没する。
【昭和四九年五月十三日小豆十月限大阪一万七〇〇〇円・三八〇円安/一万六八一〇円・四九〇円安】
昭和の風林史(昭和四九年五月十一日掲載分)
こんな事をしていると押し目でなく
崩れがくるのではないか。
千円棒を黒々と叩き込まん。
「さみだれのあまだればかり浮御堂 青畝」
四連休明け後は、
ボソンと気の抜けてしまった市場で、
まったく閑である。
そして商品全般なによらず前二本。
五、六月限がよくない。
この二本の限月は昨年12月の
〝石油相場〟と〝大発会御祝儀相場〟で
高値掴みになっている。
だから、どの商品に限らず、
五月限と六月限が落ちないことには
(納会しないことには)腰が重い。
ここに来て小豆相場は『崩れるのではないか』と
警戒人気が強まっている。
48年産小豆現物の重味が、
ようやく感じられる市場だ。
無理をすれば一万八千円でも九千円でも
付け〔られ〕るだろうが、
それは大勢に逆らうことで、
付けた値で逃げる(利食う)事は出来ない。
動詞の活用で
未然、連用、終始、連体、過程、命令
と六ツの活動がある。
一万九千円を付ける。
付けられる、と、
付くとでは大いに違う。
ら(ろ)、り、る、る、れ、れ(れよ)。
付けろ、付けり、付ける、付けれ。
付けてみせる―は勢いである。
採算無視になるかもしれない。
付けられる―は
可能性と自信のほどがうかがえる。
しかし以上二ツは
価格操作になる。なり。なれ。なろう。
付けろ、付けれ―は命令形である。
付く、付かんは時の運。
別れろ、切れろは真砂町の先生で、
相場と関係ない。
れ、れ、れろ、れろ―などと
助動詞活動をやっていると
頭が変になってくる。
木の芽時は用心するに越したことはない。
三宅応人先生の句に
木の芽和いよいよ母の耳とほく―とある。
付くまで待とう二万円。
付けてみせよう二万円。
この違いである。
付けてみせよう付けられる。
しかし、それをしてなにになる。
見渡せば閑である。深閑である。
下げて九月限の六千七百円あたり。
黒々と一本千円棒をぶち込むところだ。
いま、中途半端に値を維持している分だけ、
あとになって〝どか降り〟になりそうだ。
待つは仁―と古人は教えた。
駒鳥の鳴くが如き下げが入ろう。
●編集部註
本当に暇である心情が
行間ににじみ出ている。
サプライズというものは、
どんな事象でもこういった場面で置きやすい。
先ず地震が起きて、その後、小豆相場も揺れる。
【昭和四九年五月十日小豆十月限大阪一万七四二〇円・九〇円安/東京一万七三九〇円・一〇円高】