昭和の風林史 (昭和四九年六月二十日掲載分)
仮に反騰場面があっても
今年は追ったり乗せたりする相場ではなく、
売っていくのが手本だ。
「てん草をふんでてん草かつぎ来る 虚子」
相場というものは上がる時がくれば、
誰が売ろうと、現物在庫がどれほど豊富でも
作柄がいかに順調でも、規制に次ぐ規制を重ねても
上がるものだ。それが相場だ。
同じように、天候が悪く作柄にキズがつこうと、
強力な買い連合が積極買いしても、
腰の重い相場は、少々色めく程度で、
すぐまた垂れ込んでしまう。
供給面はどうかといえば、
現在の在庫に本年度産を平年作として
出来秋の小豆二百五十万俵という数字になりかねない。
かつてない尨大な数だ。
そういう大量供給の商品を
買い上げていくということは、
常識的にも、非常識的にも、考えにくい。
昨年のように先高人気。商社の買い占め。
人類の食糧危機感。世界的な異常天候。現金より商品。
狂乱のインフレ。諸商品の高騰。
そして過剰流動性資金の洪水という、
まったく狂ってしまった環境でこそ、
市場は割れるような熱気で相場を突き上げた。
しかし、それでも作柄が良い、豊作だ―
ということで七月13日に大天井して
九月11日まで(先限引き継ぎ)九千円幅を下げた。
しかし世は物価高騰時代。
九千円幅を下げた相場が八千円弱を戻して、
いまの水準である。
これを、もう一段も二段も買い上げよう
という考えは〝アコギ〟でなかろうか。
相場する人は皆賢い人ばかりである。
しかし、猟師山に入って山を見ず。
小豆相場を追いまわしている投機家は、
突き放して相場を遠くから見る事が出来ない。
生産者コストから考えて、一万六千五百円以下は、
あり得ない―と信じきっている。
一種の病気にかかってしまっているようなものだ。
相場はコストを割らないという定理はない。
むしろ相場は(価格は)コストを無視する。
先行き天候は確かに不安定である。
その限りでは突っ込み場面の買いは、
利食うことも出来よう。
だが、
大相場が展開するという夢の実現は今年の相場、
人々がすべてあきらめの境に
立ってからではなかろうか。
かなりズレ込んだ時期になるように思える。
噴き値待ちの熱狂売り、
強烈反騰千円高もあるだろうが、
決然売りになる。
●編集部注
以前も書いたとおり、この年のこの月、
小豆相場は上旬、中旬、下旬と
相場風景が変わる。
【昭和四九年六月十九日小豆十一月限大阪一万七四八〇円・四〇〇円高/東京一万七四八〇円・四三〇円高】
昭和の風林史 (昭和四九年六月十九日掲載分)
酔って騒いでみようかと心構えは皆しているが
市場の雰囲気はまだまだ冷めていて湧かない。
「竹伐やいかづち雲の嶺に生る 風三楼」
北九州は小倉の軍歌酒場〝アンカー〟は
店内に入ると古着屋と間違える感じの店で
旧日本陸軍の将校マントや
海軍の参謀肩章のついたもの、
特攻隊の航空服から
ベタ金の将軍、提督の各種軍装が
ズラリと吊ってある。
お客は、その中から好きなものを選んで
軍帽をかぶり、カウンターに威儀を正して、
たえまなく続く軍歌を合唱する。
一種異様な雰囲気だ。
しかし、
「さもあらばあれ
日の本の吾はつわものかねてより
草むすかばね悔ゆるなし」
―などとやっていると、
いい年をしたおっちゃんにも
青春が蘇ってくるのであろうが、
夜の更けていくのを忘れる。
さて、今の小豆相場
さもあらばあれである。
先限一万六千五百円あたりの値段なら
買って大丈夫だろう。
もし題をつけるとしたら
『長い、長い強気』。
本年の作柄を平年作と見て、
〝ヒューマン・コンピューター〟の
はじき出した線が一万六千五百円である。
しかし『長い、長い強気』を覚悟しても
『短い夏』の通り過ぎるのは早い。
少々天候が崩れても、
気の遠くなるような供給量に
抵抗できるだけの仮需要
即ち相場の花が咲くだろう。
大相場出現という状況は
一種の〝狂気現象〟である。
一犬型に吠ゆれば万犬声に吠ゆ―。
これである。
群集心理が燃えなければ大相場は出現しない。
一擲乾坤を賭すには
石が流れて木の葉が沈むとき
でなければならない。
人の心理状況が冷静な時には、
笛吹けど誰も踊らず。
その事は手亡の相場で実験済みだ。
小豆相場に期待をかけている人は多い。
しかし、期待する人が多いほど
二万円台は幻のグラフになるだろう。
オアシスの蜃気楼は
砂漠を行く旅人の網膜に映るけれど、
近づけない。
今の小豆相場がそれである。
誰かが狂わなければならないのだ。
だが、世情を見る時、誰かが狂えば、
一応狂った真似だけして、
高値は売り抜けてしまおうと
冷静な段取りをしている人が
多いのが実情だけに話がしにくい。
さもあられば、当分は逆張り相場だ。
●編集部注
〝買って大丈夫だろう〟と
設定した値位置は来ない事が多い。
来てしまうとそこは逆に行く事が多い。
相場分析あるある。
逆に〝来ない〟〝幻〟と
見られている値位置は
存外来てしまう不思議。
皆が動けない値位置に進むのが
相場なのか。
【昭和四九年六月十八日小豆十一月限大阪一万七〇八〇円・五〇円高/東京一万七〇五〇円・五〇円高】
昭和の風林史 (昭和四九年六月十四日掲載分)
買い方が買っているあいだだけ
高い相場だから戻り一杯すると
再び売り狙われてだらける。
「陶枕の冷えのままにわが昼寝 爽風」
当たっている山大の杉山社長は
十月限中心に七千円台を一貫して売り続け、
六千円にかけて利食いした。
利食いしたあとはゴルフに行ってしまった。
買い方が買っているあいだは強いかもしれないが、
この値を買ってどうだい?
先限の八千円抜けがあると思うかね。
ちょっと無理だろうね。
戻ったところは、また売られるよ。
相場が見える時はゴルフだって調子がよいさ―。
きっと杉山さんはそういうだろう。
川西地区の〝はえ切れ〟については
相場がいわせた材料ということだった。
産地筋は、内地で勝手に騒いでいるだけですよ―と。
いまの段階では、発芽がちょっと遅れているだけで
13日の晩から雨があがって晴れの日が
一日、二日と続けば一斉に発芽する段階だという。
11日、12日と畠を調べて、
土の中の種を掘り出して見た結果、
大丈夫という結論になった。
さて、一見して強力出直りに見える相場であるが、
方に力を入れて買う段階でもないようだ。
ひとまずは六月十日の安値地点、
先限一万七千円は〝いいところ〟という目安はついた。
これ以下を叩き売るとか
もっと安い値段を考えることは、
今の段階(天候・作柄状況)では行きすぎである。
しかし、上値に対しても一万八千円を吹き抜けて
八千五百円を付ける相場でもない。
売り方にすれば、充分に(戻すだけ戻させて)
引きつけてから狙い撃ちしようという寸法。
買い方は、じっとしていたらジリ貧になる。
気も沈む。一度景気づけをしようという事だろう。
うまくいけば、いささかの踏みも取れようし、
大衆兵団が大挙して参加してくれるかもしれない。
相場が勢いにさえ乗れば
その時、高値の買い玉も逃げられる。
運は天にあり。天候にしても
この先、どう転ぶか判らないではないか。
おなかの中では大相場出現を
半ばあきらめかけているというのが実情であるが。
仮りに二万円相場ありとしても、
それは本年の場合、だいぶズレ込みそうだ。
当面は七千円と八千円のあいだの
相場高下になりそうに思う。
●編集部註
休むも相場は重要なれど出来る人は存外少ない。
先日復帰したジョージ・ソロスなどは稀有な例だ。
昭和四九年は彼がジム・ロジャースと共同で
ファンドを立ち上げて五年目。
その二四年後、運用資産において
当時で世界最大規模にまで大きくなる。
【昭和四九年六月十三日小豆十一月限大阪一万七一七〇円・一四〇円安/東京一万七一六〇円・一五〇円安】