「山の日の 片頬に暁 濃龍膽」 風生 (2016.09.21)
昭和の風林史(昭和四九年九月十四日掲載分)
八千円奪回へ 攻防熾烈の場合
一万六千円以下の値段はない
という感じを強くしている。
七千円どころ地相場。あとは天候次第。
「山の日の片頬にあかつき濃龍膽 風生」
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「水澄みて礼文華峡は聢と秋」 蛙水子 (2016.09.20)
昭和の風林史(昭和四九年九月十三日掲載分)
大直りの態勢 鎌入れ不足観も
人々が下ばかり見ているあいだに
相場は底入れして小豆の魔性が発揮さ
大出直りに転じる。
「水澄みて礼文華峡はしかと秋 蛙水子」
小豆の戻り足を見ていると軽い。
9月9日、やはり底入れしている。
投げるものは投げ、灰汁が抜けた感じである。
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昭和の風林史(昭和四九年九月十二日掲載分)
小豆の魔性が発揮されそうだ
小豆も手亡も底を売った感じが強い。
油断していると降霜→爆騰という場面さえあり得る。
「一聯の露りんりんと絲芒 芽舎」
日毎に小豆相場は底練りの様相を濃くしている。
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だらだらとだらだらまつり秋淋し(万太郎) (2016.09.15)
昭和の風林史(昭和四九年九月十日掲載分)
陰の極に突入 市場さらに弱気
だらだらとだらだらまつり秋淋し(万太郎)。
投げ終わるまで待っているような場面だ。
「待つことは長し栗の実落つることも 青邨」
小豆相場で一億円の穴をあけ、
親子四人が心中、
事情を知る部下も自殺した―
という社会面記事は悲惨であった。
相場は人の命をも取る。
相場界では、人を殺した相場は、
そのあたりを限界とする。
必ず恨み相場が展開する。
九月九日重陽の節句、
買い方大手筋の投げが目についた。
八月下旬(27日)にかなりを投げ、
なお残り手持ち分の
去就に大きな関心が持たれていたが、
環境味方せず、決断を迫られた。
市場人気は先限一万五千五百円を言う。
その値は、あと千円幅もない。
大正九年の財界大反動では
生糸、綿糸相場が高値から
70~80%を崩した。
四分の一の値段になった。
株式も三分の一から四分の一に値崩れした。
米は半値で止まった。
現在の不況を大正九年パニックに
匹敵するという見方も出ている。
繊維界は特にそういう暗さがある。
当時、全国百六十九の銀行に
取り付けがあった。
株式市場と全国のあらゆる商品取引所は
閉鎖した。
大正八年の狂乱インフレと大投機熱が
昭和四十八年のそれだとすれば、
大正九年の反動は、
昭和四十九年のそれであるかもしれない。
もとより世界経済も日本経済も
当時と現在では、
規模も構造も政策も違っているが、
人間の心理というものは、
大きな変わりがない。
値のあるものはすべて売っておけと
極論するむきは、
商品市場での値のある穀物と砂糖を
徹底的に売っておけば
パニック相場に乗れる―
とするが果たしてどうだろう。
大正九年の財界反動期は土地も暴落した。
賃金も下がった。
物という物の値が低落した。
大デフレである。
現在は、地価の暴騰は止まったが、
全体が暴落することはない。賃金も高水準だ。
米価も国鉄運賃も、郵便料金も、
そしてタバコまで値上がりする。
不況下の悪性インフレである。
投げる者は皆投げ、売る者は売り、
高値期待感が完全にしぼんでしまうあたりが、
自から小豆相場の限界点となろう。
明日二百二十日。
明後日は昨年大底を打っている。
●編集部注
第一次大戦後の不況と
ダブらせて見るのが時代。
朝鮮戦争と糸へん景気、
この当時の伊藤萬危機との間は
躁と鬱の関係。
戦争と平和から来る、
好況不況の衝撃波の経験回数が
今の人達とは全然違う。
【昭和四九年九月九日小豆二月限大阪一万六五四〇円・四〇円高/東京一万六五五〇円・変わらず】