昭和の風林史(昭和四九年十一月二九日掲載分)
師走沸騰高へ 相場に兆候あり
ホクレンが売ってくると期待して空売りすると、
恐らくその玉は踏まされるだろう。
「霧氷散る音ばかり日の深さかな 和己」
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昭和の風林史(昭和四九年十一月二八日掲載分)
師走吹き抜け ひと相場展開す
小豆相場は昭和50年の展開を考える場合、
七千円どころの値段は無条件に買っておけばよい。
「鴨の中の一つ鴨を見ていたり 虚子」
26日、全国六ツの穀物取引所の
取引員協会(清水正紀氏会長)主催による大ゴルフ大会が
25日の前夜祭(一泊)で気勢を挙げてから川奈で行なわれたが、
この日は生糸、毛糸、綿糸、ゴムの納会日だった。
穀物だけの取引員ならどうという事もなかろうが、
専業取引員経営者の中には
『納会の日に会社を留守に出来るかい』
と出席しなかった人も多い。
23、24日が連休である事は、去年から判りきってる。
それを25、26日の一泊ゴルフ大会など、
そもそも自分の仕事に真剣であるとは言えない。
これは常識だよ―と欠席した人もある。
主催者側は、年に一度の全国大会だから、
随分気をつかっているのであるが
『どだい、派手すぎるな、あのコンペは。
なんだいヘッポコ代議士のカップを
阿呆ほど並べてありがたがっているなど趣味が悪いよ』。
『まあ顔を出さないと義理が悪いから出るけれど
、楽しめるゴルフじゃないな』という人も多い。
一部出席者は、とくとくとしていたようだが、
その会社の社員たちは、きわめて批判的である。
業界の昨今の情勢を考え、
あるいはそれぞれの持つ内部事情を考えた場合、
連休のあとの派手な一泊ゴルフ大会は、
批判される余地が充分にあるし、
そこでなされたと思われる一部の大きな金額の賭け
(今回の事は知らぬが、過去の例から判断して)は
真面目な業界人の行なうべき事がらではない。
そもそも、この業界には経営者の
ひんしゅくすべき行き過ぎた行為に
対する歯止めがない事を痛感する。
商売の取引先(顧客)に対する遠慮がない。
銀行との関係が薄いから金融機関に対する配慮がない。
労働組合がないから社員従業員に対する警戒心がない。
そしてオーナー経営者は株主に対して遠慮する必要がない。
だから自堕落になりやすい。
その結果は、内部分裂、集団退社、警察のお世話、
マスコミの餌食、倒産、業界の信用失墜
という最後のところまで直通してしまう。
なにかの歯止めさえあればと思うのである。
自覚なき業界には、
業界保存のためにも強力な歯止めが必要ではなかろうか。
小豆相場のほうは大勢に、なんの変化もない。
底値鍛錬、強気一貫である。
●編集部注
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり―。
平成の御世からこの記事を読んでいるので、
上記の描写は清盛亡き後の平家を見ているようだ。
当時の参加者は
源氏鶏太の小説のように感じているかもしれないが…。
【昭和四九年十一月二七日小豆四月限大阪一万七〇七〇円・三二〇円高/東京一万七〇三〇円・三七〇円高】
「埋火に酒あたたむる霜夜かな」 桃隣 (2016.11.28)
昭和の風林史(昭和四九年十一月二七日掲載分)
積極性がない 怠惰無関心市場
ぬるま湯につかっているみたいな小豆相場が続いている。
怠惰、無気力、無関心そのものだ。
「埋火に酒あたたむる霜夜かな 桃隣」
毎日同じようなことを書いているみたいだ。
相場が同じようなところで
押したり突いたりしているからそれも仕方がない。
商品市場の人気は毛糸に集中して久しい。
しかし、この毛糸も取り組みの面などから
限界に来る日も近いと警戒気味だ。
毛糸の先物市場に対する世間の風当たりも無視できぬ。
毛糸が、なぜ今のように人気を集めているのか、
この事を穀取関係者、
あるいは商い低調で閑になっている取引所当局者は考えてもらいたい。
市場が大きい事。相場が大幅に動く事。
証拠金と手数料が委託者に手ごろな事。
商品セールスがお客さんに勧誘しやすい事。
取引員が取引所に持っていくお金が他商品より有利な事、
取引所が業者に寛大な事など、いろいろと挙げられる。
ひと昔前までは商品相場の花形は小豆相場であった。
その後は生糸に人気が集中した。
世相にマッチした商品が脚光を浴びるのは当然であるが、穀物が、いまひとつ不人気な理由を業界人は考えてみる必要がある。
早い話が手亡の供用品の格差の問題一ツにしても、その時、その場に応じた対策が必要であろうし、小豆も供給過剰の時と品薄の時では、もっと違った取引所運営が出来てよいはずだ。
取引所当局者の頭が硬直しているから、緩急自在の運営が出来ない。
また、おしなべて穀取の事務当局者は怠惰で無気力である。老齢化という問題もあろうが、人材不足である。それは、とりもなおさず理事長の怠慢と事なかれ主義、不勉強からくるものである。取引所当局は常に有能な人材を確保すべく努力し、また人材の登用を心がけるべきであるが、残念ながらそのような積極性は見られない。
ここ数年、穀取の事務局は、よれよれである。
早い話、穀取は、小豆、手亡のみに頼らず、輸入大豆の商いを再開するとか大納言小豆や大正金時、あるいはアメリカ産ピービーンズの別建てなどを積極的に研究してみてはどうだろう。また小豆の建て値を今の60キロ建てから一キロ建てにするとか、限月を12限月制にするとか方法はいくらでもあろう。
●編集部注
お上のご意向に楯突くとは不届き千万、とこの当時にこの記事を読んで思った人もいただろう。
実際、その後の穀取のよれよれぶりを平成まで見ていると、高説ごもっともとなる。
何事も愛のない処断は衰退を招くのだと感じる。
【昭和四九年十一月二六日小豆四月限大阪一万六七五〇円・三一〇円安/東京一万六六六〇円・四七〇円安】
昭和の風林史(昭和四九年十一月二六日掲載分)
師走上伸必至 売り次代終了す
手亡という隣家の災難に
巻き込まれたような小豆相場だった。
既に小豆は立ち直ろうとしている。
「河豚喰うや短き命短き日 虚子」
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「山菜の山の上にて商へり」 ひろ子 (2016.11.24)
昭和の風林史(昭和四九年十一月二五日掲載分)
投機家の目は 昭和50年を凝視
弱気の天下は終わっているのだ。内部要因も改善された。
小豆相場が金融緩和と共に見直される。
「山菜の山の上にて商へり ひろ子」
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