証券ビュー

森羅万象

餅つき相場 杵のあげおろしに力入らず (2016.12.14)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十三日掲載分)
イライラする気持ち通りの相場
大納会まで二週間あるが、
例年にない無気力な年末相場となった。
だがそれもまた相場の一つ。
年内余日少なく―
という文句がそのままになってきて、
別に今日中に済ませねばならない仕事場ばかりでもないのに
イライラとしがちである。

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市場芒芒たり 精気まさになく (2016.12.13)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十二日掲載分)
市場芒芒たり 精気まさになく
師走押し詰まらんとして八極を眺むれば芒芒たり。
芒芒たるゆえん奈辺にありや。
「灰までも赤き炭団の火を堀りし 虚子」
雑誌〝宝石〟の一月号に

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動意なくんば 動くまで待とう (2016.12.12)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十一日掲載分)
動意なくんば 動くまで待とう
死地に陥れて而る後に生き、
之を亡地に置いて而る後に存す

―というような穀物の市場だ。
「菰を巻き皇居の松の冬支度 恒明」
武田商事の武田社長は飄飄乎としている。
事務所が狭くなったので近くの新ビルに一部を移転。
取引員の分室設置は主務省の許可が要る。
武田社長はその事を忘れていた。
許可なしに移転して叱られたらしい。
武田氏は東繊取の協会のほうの会長である。
『えらいことをしてしもうた』と手の平で、
おでこをペタンと叩いた。
武田氏は俳人である。
その生活は俳句の中にある。
筆をとれば枯れた字を書く。
行く所、行く所から絵葉書を頂戴する。
暑い七月の終わりに興和商事山中国男社長のご案内で
武田社長と甲府にある飯田竜太氏の〝山廬〟を訪ねた。
飯田竜太氏はお留守であった。
筆者は飯田蛇笏氏の句が好きだ。
山田国男氏は雑誌〝雲母〟と
山梨県の地図を車の中でくれた。
地図には赤鉛筆で行く道筋を記してある。
〝山廬〟は炎天の中にがっしりと、
そして森閑としていた。
庭に鳳仙花が燃えていた。
武田さんは(俳句の)デッサンに余念がない。
小生はサド屋の葡萄酒が楽しみである。
武田さんは時々、遠まわしに小生を叱る。
なにげない言葉の中に戒(いまし)めがある。
きのうも「少煩多眠、少怒多笑、少言多行、少欲多施―」
と手紙を頂いた。
少肉多菜、少塩多酢、少糖多果、少食多噛、少衣多浴、少車多歩
にかこつけて。あんまり怒るな―というわけだ。
相場のほうを見ると閑である。
小人閑居して不善をなす。
小人玉を抱いて罪あり。
閑が続くと、そういう言葉が思い出される。
ウォール街の魔術師といわれたジェラルド・M・ロープ
「出来高が少なく、市場が細っている時こそ、
投機家は、チャンスが獲得出来る」
と言っている。
年末ギリギリに、ひょっとしたら小豆に目の覚めるような、
買われる場面があるかもしれないと筆者は思うのである。
淋しき里にいでたれば、
ここはいずこと尋ねしに
聞くも哀れやその昔、
亡ぼされたるポーランド。
栄枯盛衰の習い、その理は知らねど、
かくまでも荒るるものとは
誰か思はん夢にだに(ポーランド懐古)。

●編集部注
言葉は生き物である。
先日、古川ロッパが
昭和二二年に書いたエッセイを読み、
「とても」という使い方がこの頃の流行と知る。
「千載一遇のチャンス」という言葉は
この年の流行語だった。
石油ショックから来ている。
平成二八年の辞書編纂者が選んだ流行語は
「ほぼほぼ」だそうだ。
【昭和四九年十二月十日小豆五月限
大阪一万七〇五〇円・一〇〇円安/
東京一万七〇二〇円・七〇円安】

憤慨の志 なお存ず (2016.12.09)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十日掲載分)
恭順なれども 功名誰か論ぜん
小豆の強気は恭順している。
しかし憤慨の志はなお存ず。
人生意気に感ず。功名誰か論ぜん。
「北国の北のくらさや冬の海 月尚」
一茶の句ではないが、小豆相場は
〝ともかくもあなたまかせの年の暮〟―といった風情である。
〝ゆく年のこぞりともせぬ相場かな〟。
17日農林省が小豆等の収穫高を発表する。
前回発表の数字より多少増えるか、
前回並みだろう―と強気している人でも
この数字に期待はしていない。
それは、仮りに(減少を)期待して、
肩すかしを食う事を恐れるからだ。
年末ギリギリになって
肩すかしのショックを受けるのは避けたいという、
しおたれた気持ちがある。
それほど強気筋は今年の相場で疲れきっている。
もう、心のいた手を受けるのは嫌だ―と。
出来得れば、そっと越年したい。
人は〝絶望〟という樫の棒で何回も頭や腰を打たれると
〝希望〟というものを持とうとしなくなる。
即ち絶望の淵に、しゃがみこんでしまう。
いま、一年をふり返ってみると、
一月の石油危機の反動安で脳天を新ポからカチ割られた。
次に巨大な仕手筋の活躍に期待したが、
その仕手は総需要抑制というお札の前に
惨(さん)と散った。
そして海外の雑穀市場の高騰や、
異常気象下の天候相場に夢をつないだ。
それは鳥羽、伏見の戦いに破れて
落ちて行く新撰組の心にも似ていた。
しかし、最後に期待した天候は
霜一発の希望も消えて収穫発表で、とどめを刺された。
その間、海外の砂糖相場の暴騰。
アメリカ・ピービーンズの相場崩落と天は、
あくまで背を向け通した。
いま、小豆の強気は恭順しながらも
昭和50年になにかを托そうとしている。
しかし、精神的にも資力的にも随分疲れきっている。
天曇り雨湿るとき
声の啾啾たるを君見ずや。
百年多病(へい)独り台に登る。
艱難はなはだ恨む繁霜の鬢(びん)
潦倒新たにとどむ濁酒の盃。

しかし、相場の世界に身を置く者は
「縦横の計(はかりごと)は
就らざれども慷概の志は猶存す」。
「人生意気に感ず功名誰か復た論ぜん」―。

然り。
繁霜の鬢なれども人生意気に感ず。功名また誰か論ぜん―だ。
●編集部註
行間が暗い。実際に相場が暗いのだが、
それはこの年の世相を反映しているのかもしれない。
昭和四九年に流行った歌が
「昭和枯れすゝき」「傷だらけのローラ」
「精霊流し」「私は泣いてます」。

流行った映画が「砂の器」「青春の蹉跌」。
ベストセラーが「ノストラダムスの大予言」である。
【昭和四九年十二月九日小豆五月限
大阪一万七一五〇円・九〇円安/
東京一万七〇九〇円・八〇円安】

歳晩に感あり 頼りない足取り (2016.12.08)

昭和の風林史(昭和四九年十二月六日掲載分)
歳晩に感あり 物不足から一年
気乗り薄ながらなにか底堅い小豆相場。
相場の変わり目がついそこまできているように思う。
昨日は納めの水天宮。
いよいよ師走のカレンダーも駆け足ですぎてゆく。
昨今のように日暮れが早いと
特に一日、一日があっという間にすぎ、
夕方になると予定した仕事が片付くどころか
明日に溜まる方が多い。
早いもので、物価狂乱と物不足で
てんやわんやであった去年の暮れからもう一年たった。
去年の今ごろの弊紙を見ると
やや薄鼡色のツルツルの紙である。
あのころは紙が思うように入手できず、
ある紙はなんでも使わねばならなかった。
この紙も輸入物であったし、
新年号も用紙の確保や表紙をどうするかで
東奔西走したものだ。
百人一首に
「憂(う)しと見し世ぞ今は恋しき」というのがあるが、
あんな無茶苦茶の時期でも一年過ぎると何かと想い出になる。
まして相場に関係があったり、
自分で相場をやっていた人にとって
一年前の昨日、今日の印象は強いはず。
たとえば、去年の十二月四日生糸は全限ストップ高。
五日は弊紙の相場欄の銘柄は
全部前日比高を示す白三角ばかり。
こんなことは一年のうちに二~三回もあるかないかだ。
そして、小豆、手亡、ゴム、綿糸、毛糸、生糸、乾繭、粗糖、
いうなれば全銘柄の一部または全部がストップ高を示現した。
その日の商品欄の方針は
「理屈を言う前に買え―熱狂ムード。
世相を映すS高の狂い咲き」と。
相場は人間の欲望を中心として、
世の中のあらゆる微妙な動きの終結したものだが、
いかにも当時の世相を
そのままに反映していたといえるだろう。
それから一年、経済界はうってかわって
金融引き締めと不況との中に呻吟し喘いでいる。
変われば変わるものである。
有為転変とはまさしくこのことか。
さて穀物相場だが、
他のものがようやく底入れ気分が漂ってきているのに
三年連続豊作、豆につきものの砂糖の異常高
といったことから、はなはだ頼りない足取りである。
下にもゆかぬが、
さりとて高くなる自信もないという風情。
年間最大の需要期だというのに
在庫発表も材料になりにくい。
しかし相場は次第に変わり目にきていると思われる。
ここは気長に強気を通すところだ。
●編集部註
 平成の現在、このような歳末感はまだない。
 この頃にあった水天宮はもうない。
 耐震問題で立て替えられ、同じ場所に、
きらびやかでひと回り大きな建物がどんと鎮座している。
【昭和四九年十二月五日小豆五月限
大阪一万七二三〇円・二七〇円安/
東京一万七二五〇円・一六〇円安】