証券ビュー

森羅万象

「白湯ふふむ口ほのぼのと風邪薬」 舟月 (2016.12.21)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十九日掲載分)
魅力なき相場 人気離散も当然
相場に情熱が持てなくなって久しい。
小豆相場にあった魅力が、
まったく失われている。
「白湯ふふむくちほのぼのと風邪薬 舟月」
ふり返ってみると、今年の成績は、散散であった。

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今にして試練 一年の疾患出づ (2016.12.20)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十八日掲載分)
今にして試練 一年の疾患出づ
年末ギリギリに来て
百年の疾患を露呈する小豆相場。
なんの希望もない場面である。
「吾が呟のひびき返りて蓮枯るる 梢」
28・23・20のラインが崩壊した。
九月の28日安値。十月の23日安値。
十一月の20日の安値。
およそ、この安値を結ぶ線が、
小豆相場の下値の限界と見られた。
一月限で五千二百円。
二月限で五千三百円。
三月限で五千五百円。
期近限月の重味を感じた。
ホクレン手持ちの旧穀
小豆の売りつなぎ新穀小豆のヘッジ。
仮需要(人気買い)が極度に細り、
取り組みもやせ細っているから実弾売りは、
まともに響く。
思えば他商品相場は先に供給過剰、需要減退、
価格暴落の場面を踏んできた大きな試練を受けてきた。
その間、小豆だけは高値から二割五分程度の下げで
他商品のような凄惨(せいさん)な暴落をまぬかれた。
しかし、やはり
需要不振、供給過剰の実勢悪には勝てなかった。
年の瀬ギリギリになって
百年の疾患一度に露呈という型になった。
あの店が投げ、この店が投げ、
戦勢ひとたび悪化すれば敗走、また敗走、
遂にはダンゲルクにまで追いやられる。
さて、ここで相場をどう考えるか。
古品小豆を定期につなぎ終われば、
かなり安い相場になるだろう。
その数およそ三十万俵から三十五万俵。
来年一、二月。
バシッと梁(はり)が割れるかもしれない。
これは相場の成り行きである。
一月減お一万三千円めい台という値段も
九月から丸三カ月をモミ合った水準を叩き割られた以上、
あると見なければならない。
二月限の、やはり一万三千三百円どころだ。
こうなると、投げ物と追撃売りとで、
陰の極を取りに行く暗風寒窓に入る場面だ。
新穀一本である五月限にしても、市場がこうなると
一万四千五百円→四千円の値段であろう。
そういうことにでもならなければ、
小豆相場に人気が集まるまい。
年内は、チンタラ相場のあと棒下げの垂れ込みがあって、
年明けて、なんの期待もなく暗然。
一月、二月は閑でして、商いいよいよ薄く底練り百日、
などと嫌なことを考えるのである。
 ●編集部注
 相場に三つの坂あり。
上り坂、下り坂、そして〝魔坂〟である。
 これに毎度やられる。
 古今東西〝魔坂〟はどこにもある。
今年も何度か〝魔坂〟があった。
【昭和四九年十二月十七日小豆五月限
大阪一万六三〇〇円・一〇〇円高/
東京一万六三〇〇円・一一〇円高】

物無に帰さん 答うる所知らず (2016.12.19)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十七日掲載分)
物無に帰さん 答うる所知らず
他商品相場は厄を済ませたが小豆はいま
ギリギリに来てそれをやっているみたいだ。
「雪染めて万両の紅あらはるる 宗石」
しなければならない事が
山ほどあるのに体調を崩し、
疲労と風邪で寝込んでしまって、
これが無理したあとのトガメというもので、
その間、相場は13日の金曜から
チンタラ、チンタラ悪化しだすし、
14日義士祭は新安値、16日月曜はさらに軟化。
カレンダーのほうは
一日一日と斜めに線を入れて消していくと、
いよいよ気は焦る。
なんで一体あせらにゃならんのか。
年末だからとて他の月と別に変わりはせぬのに、
正月なんか来なきゃいいのに。
腹を立てても手形の期日と借金取りと
現行の締め切りはきちんと来るから難儀なことだ。
しかし考えてみれば暗澹、絶望の境を楽しむという。
ゆとりがないわけでもない。
死地に活を求むという言葉がある。
下げる相場は止まるところまで下げる。
そう思えば、なんということもない。
木鶏と木猫である。
昔、隣郷に猫あり。終日眠り居て気勢なし。
木にて作りたる猫の如し。
人その鼡を取りたるを見ず。
然れども彼の猫の至るところ近辺に鼡なし。
所を替えても亦然り。我行きて其故を問う。
彼答えず。四度問えども四度答えず。
答えずにはあらず。
答うるところを知らざるなり。
是を以って知る。知る者は言わず。
云うものは知らざることを。
彼の猫は己を忘れ物を忘れて物無に帰す。
我亦彼に及ばざること遠し。

年末のスケジュールをどうしようとか、
期日の来る手形をどうしよう、
頼まれた原稿や新年号の原稿を
どうしようなどと考えないで、
もとより相場の高下など眼中になく、
われ対処するところを知らず、
すべてを忘れて我れ物無に帰すれば、
年の瀬も、へったくれもない。
人間は、終始自分に対する他人の意思、
勘定、批評などに左右される。
誰が自分をどう言ったとか、
どう思っているかなどを常に気にしている。
この事を逆にすればよいのである。
彼が自分をどう思っているか?ではなく、
自分が彼をどう思っているか―と。
自信と定見を持てば
人の顔色など見て暮らすことはなくなろう。
きょうは実収高の発表。
これで一段安に叩かれれば
四十九(死中九)年のアクが抜けよう。
●編集部註
 当時の東京小豆市場のチャートを見てみる。
 一万七〇〇〇円を挟んだのたくり相場は
三分の一ほどしか経過してない。
弛緩状態はまだまだ続く。
【昭和四九年十二月十六日小豆五月限
一万六二〇〇円・二九〇円安/
東京一万六一九〇円・三二〇円安】

越すに越されぬ年末 来年に期待 (2016.12.16)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十六日掲載分)
年内無相場か 暗澹とした年末
明日の農林省発表で大きく売られれば
よい買い場になるのだが、どれだけ下げるか。
下値も乏しい。
昨日から年賀郵便の特別取り扱いが始まった。
明日は浅草観音年の市、奈良若宮おん祭、
十八日は納めの観音。
つぎからつきとせきたてられそうに
年の瀬の流れが早くなってゆく。
毎年、年賀葉書は売り出しと同時に売り切れ、
買うのに並んだり、ウラから局員に頼んで
わけてもらったりで手に入れるのに困るのだが、
今年はまだどこにでも売っている。
物の売れ行きの極端に悪い不況の年の暮れを
象徴しているようである。
デパートも派手に歳末商戦を繰りひろげていて
昨日の日曜あたりが、
おそらく歳暮売り出しのピークとなったことと思われるが、
どうも庶民の財布の紐は堅くシブい様子である。
ターミナルのデパートは弊店間際まで
帰る途中の買い物客で混雑しているが
都心部のデパートは営業時間を延長しても
夕方すぎるとガラガラの状態。
タクシーも値上げの影響をモロにかぶって
寒空にエンエンと客待ちの列をなしている。
去年の年末の暗さはネオンが消えた暗さであった。
今年の暗さは不景気による暗さである。
あれほど天井しらずに高騰しつづけた外糖相場も
僅かな間に上げ幅の三分の一押しとなり、
ロイター商品指数も今年の最低値にまで沈下してしまった。
世界的に去年の狂乱インフレのトガメ、反動が顕著になり、
商品相場も全く元気がなくなった。
あに穀物のみならんやである。
その穀物相場だが、小豆は東京山梨商事の現物を
背景とした売り物増で前週はジリ安を続け、
十四日には全限新安値に転落、
手亡もウインターピースなどの年末換金売り相場から、
これもほとんど新安値をつける始末である。
もし明日予想以上の増収が発表されれば
買い方は完全にトドメを刺されることになる。
むしろこの発表で大きく突っ込む場面があれば
絶好の買い場となるのだが、
案外下値も乏しいのではないか。
それだけにあつかいにくい今年の相場である。
証券界でも年内無相場観が強まっている。
商品相場も見渡したところ
年末までに活躍しそうな銘柄は見あたらない。
越すに越されぬ年末を、なんとか越して
来年に期待をつないだ方が賢明なようである。
●編集部註
タクシー料金はこの年の一月に一七〇円から二二〇円に。
更に十一月には二八〇円と一年で二度値上がりしている。
【昭和四九年十二月十四日小豆五月限
一万六四九〇円・一八〇円安
/東京一万六五一〇円・二〇〇円安】

忘れた頃にやって来る 大相場も (2016.12.15)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十四日掲載分)
想いばかりがただただ燃える
強気することも出来ず、
また安値にきて売ることも出来ず
想いばかりがただただ燃える。
「雑炊や田舎の夜は寝るばかり 今夜」
古品小豆が北海道に、およそ三十八万俵ある。
このうち二十七万俵はホクレンが抑えている。
この分が定期市場に売りつながれる相場は重い。
ホクレンは小袋入りでも販売しているが、
量的にさばくには、
やはり定期市場を利用するしかない。
山梨商事の霜村昭平氏が、
強気しようにも強気できない理由として、
買えば買うほどホクレンが売りつないでこようから、
強気になれない―と。
確かにそれはいえるかもしれない。
ホクレンを向こうにまわして、
買い上げ機関のようなことになっては尨大な資金が要る。
師走も押し詰ろうというのに、
市場に活気がまったく見られないのも、
仮需要が湧かない背景があるからで、
これだけは人為的にどうすることも出来ない。
また17日発表の数字も、ここにきて
九月1日現在の数字より増大するらしい
―という見方が、淋れた市場をさらに閑にしている。
こうなると、因果玉の投げが、薄商いの市場で値段を崩し、
崩れた値段が新たな投げを誘発する。
いうところのチンタラ相場である。
しかし、
下値の限界としては生産者価格、輸送コストなどあって、
五月限基準の一万六千五百円が一杯の抵抗ラインであるから、
あえてこれを叩くわけにもいかない。
期近三本にしても九月28日、十月23日、十一月30日と、
やはり止まる水準では止まっているだけに、
このあたり以下は弱気出来ないという気分がある。
積極的な強気も出来ず、
さりとて安いところを弱気するのも心もとない。
どうしても様子を見ることになるから商いは閑になる。
まあ、これも相場というべきか。
売るべし、買うべし、休むべし。
橇の鈴さえ淋しく響く
雪の曠野よ町の灯よ一つ山越しゃ
他国の星が凍りつくよな国境。
明日に望みがないではないが
頼み少いただ一人
赤い夕日も身につまされて
泣くがむりかよ渡り鳥。
行方知らないさすらい暮し
空も灰色また吹雪
思いばかりがただただ燃えて
君と逢うのはいつの日ぞ。

●編集部注
天災は、忘れた頃にやって来る。
大相場も、忘れた頃にやって来る。
平成二八年一~三月、
小豆相場日足は八〇〇〇円以下で
絵の下手な小学生が
クレヨンで横線を描いたような動きであった。
年末に悪天候等で
一万一〇〇〇円を超えていると誰が想像しただろう。
【昭和四九年十二月十二日小豆五月限
大阪一万六八七〇円・七〇円高
/東京一万六九四〇円・一二〇円高】