証券ビュー

森羅万象

静かに越年す 新年に期待かけ (2016.12.29)

昭和の風林史(昭和四九年十二月二六日掲載分)
なんとの静かな越年になりそうだ。
新年に大きな期待がかけられているが
行動力が発揮されない。
「桑枯れてなりはひもなき町の音 秋桜子」
いろいろな年があった今年も、きょう、あすで相場は終わる。

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「石塀のことさら高き枯木かな」 福太郎 (2016.12.28)

昭和の風林史(昭和四九年十二月二五日掲載分)
小豆が花形に 新年は投機時代
昭和五〇年は投機時代である。
投機時代の花形は小豆相場であろう。
年内余白、買い気盛り上がる。
「石塀のことさら高き枯木かな 福太郎」
今週に入って業界の表情が、
なんとなく明るい。
なぜだろうかと考える。
当初予想していたほど、
経済情勢が悪くないこともあるだろう。
越年の見通しがついたこと。
金融面が、かなり緩和されていること。
最悪場面を、ひとまず脱出したという、ほっとした気持ち。
それにしても取引員は毛糸がよく出来た。
単品穀物業者は手亡で息をつないだ。
そして一様に、来年は小豆相場の年だという大なる期待がある。
昭和五〇年は投機時代―。
これが本紙新年号の柱である。
投機時代の花形は小豆相場だ。
十指の指すところ小豆相場という事になり
小豆に対する期待は大きい。
小豆の当業者、現物筋は、
きわめて悲観的で特に手亡に対しては売り方に、
まだまだ叩かれる余地があると警戒的である。
しかし、経済全般、あるいは他商品との関連、
それに金融事情等から大所高所で穀物相場を見ると、
昭和五〇年は小豆の二万円中心の上下三千円。
一万七千円以下買いの二万三千円以上売り
という高原での六千円幅圏内での上下動の動きが考えられる。
三年続きの豊作だから品物は豊富である。
品薄面からの市場維持不能という不安感はない。
一方、下値は農家の採算
あるいは大幅減反と天災の可能性が支えになる。
そして仮需要に火がつけば、
市場は燃えて、人気が人気を呼ぶ。
思うに、砂糖相場があれだけ高かったにもかかわらず
小豆相場は大崩れしなかった。
他商品の下げ幅に比較して小豆は浅かった。
これという買い仕手も存在しなかった。
しかも大豊作であった。
なぜ小豆相場は大暴落しなかったか。
いま、世界的に、さしもの砂糖も暴落している。
金融はゆるむ。投機時代が到来する。
農林省当局者も小豆は安過ぎる値段だ―と見ている。
市場が明るさを増し新年に期待するのも、
当然の成り行きである。
年内余日。六月限新ポを待たず
五月限でも買っておこうという空気だ。
●編集部註
豊作に売りなしという。
実際小豆相場はこの頃、
さして上がらぬ変わりに下がらなくもなっていた。
週足でこの頃の小豆相場を見ると、
これまでの上昇相場とこれからの上昇相場とを
つなぐ踊り場になっている事が判る。
【昭和四九年十二月二四日小豆五月限
大阪一万六三九〇円・一三〇円安/
東京一万六三四〇円・一〇〇安】

明るさ見せる 来年に期待かけ (2016.12.27)

昭和の風林史(昭和四九年十二月二四日掲載分)
市場が、なんとなく明るくなった。
新春に期待を持つ人も多い。
18日の安値が底になったようだ。
「山小屋のいぶせき中につぐみ焼 砂丘」

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慚愧また慚愧 歳末に後悔せり (2016.12.26)

昭和の風林史(昭和四九年十二月二三日掲載分)
慚愧また慚愧 歳末に後悔せり
本当の事を言って、まったく相場が見えないのである。
一寸先も見えない。どうしたもんだろう。
「紙を漉く戸に水青し吉野川 木國」
各商品次次と当限納会が終わって
28日大納会まで正味一週間になった。
下関、小倉、博多と九州を回ってきた。
相場のほうは18日の安値で底入れ型であるが、
下げ過ぎたと見られる分だけ戻すのであろう。
小倉の西田三郎商店の中村太蔵氏が
『ちかごろさっぱり風林の記事が冴えない。
昔のように読む者をしてピリッとさせる記事を
われわれ風林党は期待している』と、
手厳しいお叱りを受けて帰ってきた。
そうしたら田山の山本博康先生から
『どうだい』とお電話がかかってきた。
『原稿が済んだら、お昼でも一緒にどうだい。
小生本日は、まったくなんの予定もない。
師走忙中の閑。一盞やろうと思う。
実はここ両日、君の記事はまったく駄目だ。
察するところノイローゼ気味じゃないか。
相場観はトンチンカンだし。出てきたまえ。
きつく叱りつけてやる。アハハ…。
そういう口実でお酒を飲もうよ。
天婦羅でいいかい』と。
自分では、相場がこんなぐあいだから
強弱だって書きようがないと思っているが、
確かに先限小豆で千五百円下げたのだから、
この相場を見通す事の出来なかったことは
相場記者としては失格である。
このあたりで初心忘れるべからず、
昔のように相場の記事に
心根(しんこん)を傾けないと、
いよいよ墜落してしまうぞ―と自戒するのである。
相場記事は当てなければ駄目だ。
筆者は、強弱原稿を書くのに、
一体どのあたりから墜落しだしたのか反省するのだが、
それがどうも判らないから困る。
友人である東穀の森川直司氏や菊池栄氏に
一度相談してみようと思う。
彼らは、きっと山に登って水をかぶれというだろう。
朝三時、滝に打たれて、一、二時間読経、
そして座禅を組む。朝食は一汁一菜。
その話は以前から聞いているし、一緒に修業を積もう
―とすすめられているが、夏時分なら水をかぶってもよいが、
いまは、ちょうど時期が悪すぎる。
などと、きょうも、うだうだと、
また書いてしまって後悔するのである。
●編集部注
レガシーという大義名分で、
何もかも壊して、立て替えれば
それでいいという問題ではない。
何の話をしたいのか。
昔、大阪の相場街、
北浜一丁目にあった西田三郎商店のビルの話である。
どんなビルか、ネットで検索してみると良い。
【昭和四九年十二月二十日小豆五月限
大阪一万六三九〇円・四〇円高/
東京一万六二八〇円・二〇円高】

一年屁の如し 黄粱一炊の夢さ (2016.12.22)

昭和の風林史(昭和四九年十二月二十日掲載分) 
アホラシヤの鐘が鳴りわたっている。
一年をふり返れば、うたた屁みたいであった。
「言いくらしつつ押つまり畳替 其昔」
きょう当限が納会して締めくくる。
本紙も、明日から大納会まで二頁建てにする。
新年号は32頁建てになる。
もう相場なんか見たくもない。
出来得れば
ハワイかグアム島にでも行ってしまいたい。
考えてみれば
神経とペンの先をすり減らしただけである。
白頭掻けば更に短しである。
業界の方々は一様に皆さま疲れた。
特に今年の消耗は激しかった。
パーティーの席などで遠くから見ていると、
業界人は老いたという印象が強い。
哀怨徘徊愁いて語らずだ。
17日発表の実収高も屁みたいである。
そういえば今年は、なにもかも屁みたいだった。
大発会から屁だった。
天候相場も台風の進路も、そ
して霜一発も皆屁であった。
そして年末の最後屁だ。
新年は、と座り直す気力もない。
新年は新年さ。
なぜか知らぬが、
ガータガータと力が抜けていくのである。
イギリスの有名な勲章でエドワード三世が
一三四八年にガーター勲章を新設した。
エリザベス女王はビートルズに
外貨獲得に貢献したという理由で与えた。
ミニスカートの口火を切ったデザイナーの
メリークアントにも与えた。
このガーター勲章は世界的に定評がある。
筆者は、当業界の人々は
この勲章を二ツずつもらったみたいだと思う。
名誉あるガーターガーター勲章をぶら下げて越年する。
原稿というものは、
ひとたび興がさめてしまうと、もう書けないもので、
読者は、お酒を飲んで書いているのだろう
と思われるだろうが、
筆者はお酒を飲んで原稿を書く
などという不謹慎なことはしない。
なんとも興ざめしてしまって
アホラシヤの鐘が頭の中で鳴り響き、
心の中の空洞を暗風が吹き抜けているだけである。
どう転んだところで年内の小豆相場は、
どうということはないだろう。
それならウォーカーヒルに御案内しましょうか
と西田昭二氏が心の底を見るような目で言う。
御冗談を、とんでもない。
ともかくも、大納会まで、もうちょっとである。
ゆるんだネジを締め直して気力でいこう。
●編集部注
古人曰く、幽霊と相場は寂しい所に出るという。
あともう少しで大納会という時に
大勝負を仕掛けるような事は普通ない。
そおいう時に、
罫線上にコツンと音を立てて、
底値を知らせる足が現れるから
この世界は皮肉だ。
【昭和四九年十二月十九日小豆五月限
一万六三五〇円・一八〇円高/
東京一万六二六〇円・二〇〇円高】