証券ビュー

データあらかると

マスコミに対する牽制 JCO臨界事故から二十年 (2019.10.28)

26日付け産経新聞によると、
梶山新経産相は前日就任記者会見でフッ化水素などの
半導体材料の3品目の韓国への輸出手続きを厳しくして、
輸出規制をしたことについて、
「軍事的に利用されないように輸出管理を適切にしたものだが、
WTO協定違反で提訴された」と主張した。続いて
「そのような(WTO協定違反)指摘は全く合わない」とし
「日本の立場を確実に主張していく」と述べた。

関西生コンは無視してモリカケ演出するマスコミが
輸出の管理や規制に加えて信用状の許認可統括の
経産大臣を潰しに掛かる。
10年も前の元秘書なのでスリーパーの仕込み疑惑あり。
TPP交渉中の甘利担当大臣辞任での胡散臭い秘書の
前例もある為でっち上げられても証明が難しい脇アマ話。
潰せばホワイト国解除が韓国寄りに傾く圧力になると
全力で昔の過ち捜しで葬式の香典の事実を掘り出し、
辞任に追い込んだと思ったら、
次の人事で非韓国寄りが就いてしまい呆然としてるのかも。
内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革)を務めた妥当性もあって
経産大臣の首を変えたところで政府の方針は変わらない。
村山河野談話の見直しには反対してるものの
2013年国土交通副大臣時代に靖国神社には2回参拝したり
石破が無派閥集めて水月会を立ち上げた時も参加しなかった。
梶山弘志(64)経済産業相のかなり保守よりな傾向は父譲り。
自分の父親を政治的師匠に思っていた菅義偉官房長官だけでなく、
安倍晋三首相とも近い無派閥重鎮と見られている。
安倍晋三首相が推進する憲法改正を支持し、
代表的保守団体である日本会議国会議員懇談会と
神道政治連盟国会議員懇談会でも活動しているのが理由。
また、梶山静六が自身の志を継ぐ将来のリーダー候補として、
麻生太郎に多大な期待を寄せていたという。

7選キャリアの始まりを公式経歴からみると、大学卒業後は
動力炉核燃料開発事業団(現:日本原子力研究開発機構)に
昭和54年入社し昭和60年退職。
梶山静六代議士をサポートするために梶山静六秘書となる。
昭和63年に自ら会社(非金属鉱物専門商社)を設立し、
中小企業経営者として実社会からの視点を政治に
反映させることの必要性を感じ立候補を決意したとされ
平成12年衆議院総選挙で茨城県第四選挙区から初当選。
原発関連の就職も出馬も陸軍航空士官学校卒の父親あればこそ。

政治家梶山清六は、白砂青松の美しく貧しい東海村の郷土へ若き日に
「クリーンで安全な」原発を誘致した郷里を無限に愛する自民党重鎮。
生前折に触れて「長兄の戦死を陰で嘆き悲しむ母の姿が私の政治の原点」と
語っていたハト派でもあったが、竹下派全盛期に当時の会長であった金丸信から
「無事の橋本、平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と呼ばれていた。
また、1998年の自由民主党総裁選挙に出馬した時は、
田中眞紀子に「凡人(小渕)、軍人(梶山)、変人(小泉)の争い」と評された。
最期は、地元の青壮年に犠牲者を含む放射能大量被曝者を発生させた
東海村JCO(住友金属鉱山の子会社)臨界事故1999年9月30日の後、
「とんでもないことをしてしまった」と断腸の思いにさいなまれた挙句
原発絶対反対派政治家へと君子豹変したが原発廃止政策を打ち出す暇も無く、
翌2000年1月の追突物損事故から硬膜下血腫除去手術を経て
4月に政界引退表明がだされたものの6月に閉塞性黄疸で急逝した。
強面な風貌や政治手法、政局においての過激な発言などから「武闘派」と
呼ばれたが、「日本人の血で贖った憲法9条の精神を捨ててはならない」と述べ、
海外での武力行使に慎重姿勢を見せるなどハト派としての一面もあった。
生前、靖国神社に代わる新たな参拝施設の建設の必要性を真っ先に主張した。
政治的には旧田中派では珍しく親台湾派に属し、橋本内閣の官房長官時代には、
日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直しに関し、
「周辺事態(周辺有事)の対象に台湾海峡も当然入る」と発言し中国側の反発を招いた。
また、戦友だった共産党の議員に質問してくれと打ち合わせして拉致事件を

国会で初めて取り上げ政府答弁まで引き出したのが当時国家公安委員長であった梶山静六。
1990年代、第1、第2次橋本内閣で官房長官を務めたが、
小渕内閣では竹下派の内部抗争として総裁選敗者の憂き目に遭う。
しかも大幹事長と呼ばれ権勢を誇った野中広務の地盤や鞄が
同和地区や労働組合と深い係わりがあった故に見セシメ疑惑が出ている。
自動車事故を装った政治的暗殺の標的とされ殺害されたと噂されるように、
原発促進に一番多大な影響力を行使した天下り官僚と利益分配談合を
成立させて結託した政治家の政官財トライアングルも敵に回したのだから
更に暗黒界を加えた四面楚歌の圧力は壮絶だったらしい。