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紫玉庵

日本国の始まり(下)   3月7日   紫玉庵 (2012.03.06)

八咫の鏡の真実

復活した和気清麻呂

 

大隅から宮崎南部にかけて、

神武天皇の父親

とされるウガヤフキアエズの墓が、

3箇所あります。

大隅の地が、日本史で重要な役割を果たすのは、

8世紀の弓削の道鏡事件です。

AD768年、称徳天皇は、

奈良の春日大社に、

それまでの祭神だったタケミカヅチに加え、

勅命で新たに、

アメノコヤネ、フツヌシ、ヒメカミを

加えて奉祭することを命じ、

翌年、宇佐神宮に、

道鏡の即位について諮りました。

宇佐は一旦、OKを出したものの、

和気清麻呂が、

再度確認にいくとダメになった。

女帝が怒り、

和気清麻呂を流した先が、大隅でした。

和気清麻呂が藤原式家の支援で復活し、

光仁のあとに即位した桓武に、

長岡京から京都への遷都を進言します。

清麻呂は、平安京の総合プランナーでした。

大隅の志布志湾には、

天智をまつる山宮神社があり、

ここに海獣葡萄鏡があります。

宮崎には、

西の正倉院といわれる都万神社があり、

30枚以上の鏡が、奉納されていました。

大津に都を建設した天智、

その娘の鵜野讃良(持統)、

そして、鵜野の夫の天武。

最初は天武の妻だった額田王。

鵜野は、31回も吉野に通い、

柿本人麻呂は、吉野讃歌を歌に詠んだ。

670年から730年までの60年間は、

日本の「王権」にとって、

大きな変化の連続でした。

中心にあるのは、「大宝律令」ですが、

このとき天皇家に、どんな血が流れていたのか。

伊勢神宮内宮に

奉られている、「八咫の鏡(ヤタノカガミ)」の真実に、

近づくものです。